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【元英語教師の本音】私が教員になった4つの理由と教員をやめた6つの理由

目次

本当の「教育者」とは?

現在、学校や大学における教育に限らず、ネット、家庭、職場、企業、(スポーツや武道などの)教室、地域社会のコミュニティなどにおいて、あらゆる場所やプラットフォームで、様々な形の教育活動が行われています。

一般的な見方として、「教育者」の定義(範囲)も、より広くなっているように思われる中、改めて「教育者」としてのあり方について考えさせられます。

勿論、どのような形の「先生」であれ、人間を育てるという意味では、いずれも「教育者」と呼べると思っています。

私自身、教師はやめましたが、教師を辞めたからといって、今後一切、教育とは無縁になるということはなく、

むしろ、今後は、現場で培った実践的な学びや経験を活かしつつ、別の形で、別の方向から、教育(英語教育含む)に携わっていきたいと考えています。

そういう意味で、私自身、自分が理想とする「教育者」になるべく今後も学び続けたいと考えていますが、

自分なりに「教育者」を定義する上で、その「あり方」に関して、個人的な価値観(自分が目指している「教育者」像や理想)も持っています。

今回は、それも踏まえて、今後の自分にとっての教訓とすべく(人生の記録としても)、以下の点について、自分なりの考えを(良くも悪くも本音で)書きたいと思います。

1、私が教員になった4つの理由
2、私が教員をやめた6つの理由
3、教員という職業をおすすめするか?
4、「教育者」としてのあり方とは?(本当の教育者とは?)

私が教員になった4つの理由

1、尊敬する恩師と同じ道に進みたいと思ったから

私が教育者(教師や学者)を目指したいと思うようになったのは、恩師の影響が大きかったと感じます。

人生において、尊敬する恩師がいて、彼らと同じ道に進みたいと思ったからです。

尊敬する私の恩師
剣道の指導をしていただいた先生(高校教員)
論文の指導をしていただいた先生(大学教授)

私にとっては、いずれも(やる気を引き出してくれる)メンターであり、「教育者」として尊敬すると同時に憧れの存在でもあったので、自然と「彼らのような人になりたい」と思うようになりました。

「ほんとうに優れた先生とは、自ら直接何か手を下さなくても、

生徒たちがやる気になり、よくなっていく。

そういうシステムや空気をつくることのできる人だ。」

「そういうシステムを作り運営する責任は教師にある。

そして基本的なやる気の根源になっているのは、やはりその先生の偉大さなのだ。

尊敬される実力と人格、そこからやる気が生まれる。」

(斎藤孝「教育力」より)


教育力 (岩波新書)

教育者としてのあり方①

この経験から、「教育者」としてのあり方を、自分なりに一つ定義すると、教え子に「尊敬され、あこがれられるほどの教育力(人間的魅力など)があること」だと考えます。

そして、斎藤孝先生もおっしゃっていましたが、そうした先生は、周りの人がびっくりするくらいの情熱を傾けている「あこがれの対象」を持っています。

「教えるということのいちばんの基本は、まず、

教える相手のモチベーション(やる気)をかきたてるということです。

相手がやる気になりさえすれば、ほとんど勝ちなのですから。

では、相手のやる気をかきたてるために何が一番大事なのかというと、

教える側の人間がいまからやろうとしていることに恐ろしいほどの

憧れを持っていることです。」

「教える側の憧れが、生徒の憧れを生む。

これは生徒の方から見ると、先生の憧れに憧れるという図になります。

世の中で教えるのがうまいとされている人の中に、

この憧れる情熱が感じられない人はいません。」

(斎藤孝「齋藤孝の相手を伸ばす!教え力」より)


「齋藤孝の相手を伸ばす!教え力」

学ぶ方は、そのような「あこがれの人」の「あこがれの対象」に対して、より一層心惹かれていくのだと、自分の経験を通して痛感します。

私の考える教育の基本原理は

「あこがれにあこがれる関係づくり」だ。

新しい世界にあこがれ、燃えて学んでいる人は、魅力を放っている。

その人の「あこがれ力」に触発された人は、自分も学びたくなる。

教育の基本は、学び合い刺激し合う友情の関係だ。

(斎藤孝「教育力」より)

最初に(教師ではなく)学者を目指した理由〜恩師の一言

二人の恩師の影響で、私の人生における道の方向性・選択肢は二つ(教師と学者)ありましたが、まず、最初に目指したのは、教師ではなく学者(学術研究)の道でした。

どちらを目指そうか?どちらが自分に向いているのか?

将来について(大学院に進むか、教職に就くか)色々と考え迷っていた時、

「君は、中学や高校の教員よりも、大学の教員(研究者)の方が向いている。」

ゼミや論文でお世話になった尊敬する教授からの、この一言で大きな自信がつき、学者(学術研究者)を目指そうと決めました。

どちらかと言えば、私は以下のようなタイプの人間だと思っているので、自分でも「向いている」と考えたからです。

学術研究者に向いているタイプとは?

学術研究者になる上での資質

① 論理性と執着心、そして柔軟性と知的好奇心。

② その専攻分野に生涯、正面から向き合うだけの情熱と覚悟があること。

③ ある専攻分野での研究を志すとき、

(それを行政とか企業活動とかの実務遂行に役立てるという実利的な意図に基づくのではなく)

その専攻テーマ自体にロマンを感じ一身をささげるという熱い思いに基づくこと。

研究者に向くタイプ

①(ひらめきに近い見極めで、最短で及第点の解答に辿り着き、すぐに次の問題に取り組みたくなるタイプよりも)じっくりと問題の所在を論理的に探るタイプ。

②学問に立ち向かう姿勢として、ある課題を与えられて、(見極めよく能率的に及第点の解答に辿り着くタイプよりも)

さまざまな解法を試み、問題の所在の本質を探ろうと苦悩し、あるいはその課題に取り組むこと自体に魅せられていくタイプ。

(小川秀樹「学術研究者になるには」より)


学術研究者になるには―人文・社会科学系 (なるにはBOOKS)

夢は大きく。志や理想は高く。

いつか恩師のように、研究は勿論、教育もできる立派な学者(「研究者」にも「教育者」にも)になること。

大学で教鞭をとりながら、学術研究・論文、書籍の執筆、学会、学生の指導、通訳、翻訳、その他にも色々な形で研究及び教育活動をされている(日本だけではなく海外でも活躍されている)。

そんな恩師に心底憧れていたこと、そして、私自身、元々一つのことを深く掘り下げてじっくりと研究することが好きだったこともあり、それ以来、(時には病気になるほどの)猛勉強をして、好きな学問を極めるべく研究者の道に足を踏み入れました。

2、人生における挫折と方向転換

教師になった理由

元々、学者を目指していた自分が、なぜ教師になったのか?

私が教師になった二つ目の理由は、(研究の道の途中で挫折したことによる)方向転換でした。

悪く言えば、挫折ですが、個人的には、「もう一つの道への方向転換」だったと今はポジティブに捉えています。

というのは、教師になることも私の夢の一つであり、結果として、教師になったことを後悔してもいないからです。

理論だけではなく、実践を通して多くの知見を得ることができたこと、そして、何よりも現場を知ることができたからです。

学者の夢を諦めて教師の道へ

大学院での研究自体は面白く、やりがいを感じていましたが、頂上まで続く道はあまりにも長く遠く。

「向いている」とか「資質がある」というだけでは続かない、長く険しい道のりであることも十分理解していましたが、なぜか当時の私は、人生を必要以上に急いで(焦って)いました。

徐々に、将来への不安や焦りを感じるようになり、社会的なプレッシャーにも耐えられなくなっていきました。

結果として、視野狭窄に陥り(一つの道に行き詰まり)、学術研究者を目指すという(時間がかかり過ぎる、いつ叶うか・叶うかどうかもわからないような)大き過ぎる夢は潔く諦めて、より現実的な別の道に進むことを考えました。

カナダに留学して以来、海外で働くことも視野に入れていましたが、(後述しますが)当時の私は、周りの人の意見に左右されることが多かった(自分の軸がしっかりしていなかった)ので、

(周りの人がみんな言うように)

「海外で働くよりも日本にいた方が安心・安全」

「断然、安定した公務員(英語教員)がいい。」

と、(今思えば、甘い考えだったと思いますが)ほとんど迷うことなく、もう一つの夢だった教職の道(安定)を選びました。

3、好きなことを活かせる仕事だと思ったから

私が教師になった三つ目の理由は、ほとんどの先生に共通すると思いますが、大好きな英語(専門の教科)を活かせること、そして、勿論、教えることや子供が好きだったからです。

4、周りが良いと言うから

「公務員(教員)は安定している」

「将来、何かがあっても困らないように、手に職を持っていた方がいい」

「海外は何があるかわからないし、日本にいた方がいい(安心・安全・安定)」など。

以前は、このような考えや価値観を持って公務員(教員に限らず)を目指す人は多かったように思います。

勿論、教員になることは、私自身の夢の一つでもありましたが(自分自身が選んだ道であり、後悔もしていませんが)、私自身、当時は、どこか他人の価値観に影響されたり周りの意見に左右されたりするところもあり、

(教員の仕事がどんなに大変なのかもわからずに)「みんなが良いと言うから教員になろう」というような、安易で甘い考えを持っていた時期もあったことを反省しています。

私が教員をやめた6つの理由

1、精神的に病んでしまったから

教員の常識(当たり前の日常)

教員をしていて、常々思っていたことが、彼らは本当に、驚くほど(骨の髄まで)勤労であるということでした。

ほとんどの先生が、当たり前のように、朝早くに学校に来て、四六時中休むこともなく一日中(授業や校務分掌や部活動や生徒指導などで)あくせく動いていて、当然のように、毎日夜遅くまで職員室で仕事(残業)をしています(家に帰っても仕事は当たり前)。

(特に若い教師が)定時で帰るなんて絶対に御法度。

中には、毎日のように、朝早くから夜遅く(夜中の12時過ぎ)まで勤務されている先生もいました。

「仕事が趣味なので。」

その先生は、平然とした顔でこのようにおっしゃっていました。

私自身、初任の頃に、部活動の朝練で朝の4時から勤務したり(朝一で学校を開けたり)、往復2時間の電車通勤をしていた頃は、終電で帰宅することが続いた(電車の中で眠ってしまい、目的の駅を乗り過ごし、終着駅で駅員の方に起こしていただいたことも度々あるという)時期がありました。

家に帰っても、翌日の授業、会議や校務分掌、試験の準備など(問題作成や採点など)で自分の時間がほとんどなく、酷い時には、睡眠時間の平均が3時間という時期もありました。

土日も気が休まることがなく(出勤や部活動、家でも仕事をしているなど)、オンとオフの切り替えができないまま、また翌日の朝を迎える。毎日がその繰り返しです。

このような状況は、勿論、ほとんどの教員が(当たり前のように)経験していると思います。

現在、教員の仕事(激務)に関して、一般的にも多くの人に状況が知れ渡り(ブラックな職業であると認識され)、教員志望者が減少していっていること、そして、教員離れや人手不足(精神的に病んでしまい休職・退職する教員が年々増えていることや講師不足など)も深刻になっています。

教員がブラックだと言われる理由7選

①長時間労働(自分の時間が全くない)

②激務(雑務や公務分掌や生徒指導や部活動指導などで、授業は二の次状態)

③部活動の強制(試合などの引率で土日がつぶれることも多い)

④保護者対応(俗に言う「モンスターペアレント」の存在など)

⑤保守的・閉鎖的な環境

⑥職員室の人間関係(同僚による教師いじめ・管理職によるパワハラ含む)

⑦精神的に病む(休職・退職する)教師が年々増加する、など。

ちなみに、私自身、教員時代に、①〜⑦のほとんどを経験しました。

「職員室の人間関係」(教師いじめや管理職によるパワハラ)についてはこちらの記事に書いています。

ただ、(世間の人が思う「教員がブラックだとされる理由」を見聞きしていて)元教員として、少し違和感を覚える部分もあります(後述します)。

教育界における「先生」には2種類のタイプがある

一般的に、教師に限らず、「先生」と呼ばれる職業に就いている人は多く職種としても様々ですが、中でも教育に関しては、以下の二つのタイプの「先生」がいます。

二つのタイプの「先生」
①ビジネスを生業として教育活動をしている先生
②学校教育や研究を主な目的として教育活動をしている先生

より具体的な例を挙げると、

①教育業界における先生(塾講師・予備校講師・英会話講師など)
②学校の先生(小学校・中学校・高校・大学の教員)

教育界における2種類の「先生」の違い

(私自身、①も②も経験しましたが)①と②は同じ「先生」でも、全く異なる性質や価値観や使命感を持っていると思っています。

なので、匿名のネット上では、お互いに意見が衝突したり議論をしているのを見かけることがあります。

確かに、(学校の先生に対する批判や意見として)納得できる面もたくさんありますが、元教師として違和感を覚えることもあるので、この記事では(余談になりますが)その点についてだけ書いておきたいと思います。

ちなみに、他の件でも教員(特に英語教員)は何かと批判されることが多く、個人的には、誤解されたまま批判されている部分もあると感じることもいくつかありました。

それらに関しては、こちらの記事で書いています。

学校教員に「ビジネススキル」は全く必要ない

この記事で書いておきたいことは、特にビジネスを生業とされている方々から、(教員は激務な割に)「稼げない」とか「ビジネススキルがつかない」(=「絶対に教員になってはいけない」)などと言われることに関しての違和感です。

基本的に、教員にとって「ビジネススキル」は(ビジネスという概念自体が)必要ではなく、求められてもいないからです。

そして彼ら教師のほとんどは、ビジネスのために仕事をしているわけでもないからです。

「教師は聖職者」

とも言われるように(いまや死語となり、このような教員に対する見方に対しては批判的・否定的な声もありますが)、少なくとも、教職に就いている人や教員になろうとしている人は、

そもそもの人間的な気質もあると思いますが、教師という職業を選択する上で、お金や収入に関してはあまり拘りを持っていない人が多いと考えます(むしろ「ボランティア精神」のある人でないと務まらない職業だとも個人的には思っています)。

勿論、お金は生活していく上で必要なものであり、生活や家族のために働いているという人がほとんどだと思いますが、「必要以上にお金に執着している人」は少ないという印象です。

自分が目指す「教育者」とは?

上記のように、①と②の先生をそれぞれ「ビジネス」という基準で区別すると、教師も研究者(大学教員)も、②のタイプという点で共通していると思っています。

勿論、「教育者としてのあり方」に正解はなく、人それぞれ色々な理想の「教師像」や「教育者像」があると思いますが、少なくとも私個人が理想としている(目指している)「教育者」とは、②(学校教育や研究を主な目的として教育活動をする)です。

これは「教育者」を定義する上での、私個人の認識でもありますが、①と②の先生は、(一般的な見方として)「教育者」という大きな括りとしては共通していても、根本的に(目指している教育の方向性や質という面で)異なると思っています。

どちらが良い悪いとか、どちらが上だとか下だとかいうことではなく、冒頭で書いたように、①と②は、同じ「先生」でも、それぞれ全く異なる目的(異なる価値観や使命感)を持ち日々の教育活動を行なっていると考えるからです。

その最も大きな違いは、上述したように、教育をビジネスにしているかどうか、という点です。

①の先生(教育業界における先生)

例えば、①の先生の場合、教育がビジネスの一貫である以上、(ある意味で「生徒はお客である」という意識や認識もどこかで持ちつつ)自身の実績や成果を上げる/利益を出すべく、あるいは、より多くの生徒を集める(集客する)ベく、特定の教科指導(生徒の学力やスキルを伸ばすこと・志望校に合格させることなど)に力を入れている先生が多いと思います。

それが結果として、個人や企業としての名声や収益にも関わってくる場合、当然、講師や企業間での競争も激しくなると思いますが、その分、より質の高い指導(個別指導や教科指導など)も可能になり、講師にとっても生徒にとっても成長していくことができる(メリットになる)と考えます。

 

②の先生(学校の先生)

一方で、②の先生の場合、そもそも教育をビジネスとして捉えてはいないので、教師は、教え子をあくまでも「児童・生徒・学生」(一人の人間)として捉えます。

その場合、結果(子供の成長や成績など)が、直接教師個人の収入や名声などに影響することはほとんどないので、教師間や学校間での競争は(勿論、全くないということはありませんが)それほど激しいものにはなりません。

が、教科指導に限らず、生活全般に渡って(人間形成・人格形成なども目的として)徹底して教育を行うことに全力を注いでいます。

 

私は、(質は異なりますが)①と②いずれも「人間を育てる」という意味で、素晴らしい職業(社会貢献)だと思っています。

ただ、既述したように、(①と②の)両者が目指している教育の方向性や目的には(本質的・根本的に)異なる部分があると思っているので、単純に①の先生が、彼らが重視し価値を置いているもの、つまり「ビジネス」(自分の価値観)を基準として、(自分とは異なる価値観を持つ)②の先生(教師という職業自体)を否定したり揶揄したりするのは違うのではないかと思っています。

同じ教育職であっても、職種によって、それぞれが重視している価値観は異なるからです。

「教育者」としてのあり方②

上述したように、「教育者」の定義や範囲は、現代において、一般的な見方としてとても広くなっていると認識しています。

が、私個人の理想(価値観)を基準にした場合、自分が目指している「教育者」とは、既述したように、②です。

特に、私の中で「教育者」を定義する上で、どうしても譲れない「あり方」(資質や姿勢など)があるからです。

具体的には、以下の二点に基準を置いています(あくまでも個人的な価値観に基づく基準です)。

❶教育活動そのものが、営利を「主」目的としていない(実利的な意図に基づいていない)こと。
(=金銭的な利益を得ることや私欲を満たすことを「主な」目的として教育活動をしていないこと)。
❷教師自身が教えている対象そのもの(生徒や指導教科など)に対して愛情や情熱があること。

勿論、ビジネスとはいえ、必ずしも①の先生が、実利を「主な」目的として(最優先して)教育活動をしているとは限らないし、逆に、②の先生の中にも、子どもたちや教育のためというよりも、金銭的な利益を得ること(私利私欲)を「主な」目的としている(生徒や教育を利用している)人が全くいないとも限らないと思います。

そして、決して、私は、教育を生業としてビジネスをしたり、お金を稼いだりすることを否定しているわけでもありません

中には、素晴らしい指導力や情熱を持って、真摯に日々の教育活動に取り組んでおられる(その労働の対価として、正当・妥当な収入を得ている)先生もたくさんいると思います。

いずれにせよ、私が、「教育者」としてのあり方として大切だと思う点(資質)は、①のタイプか②のタイプか、などという単純な視点ではなく(職種には関係なく)、

「教えている対象(児童・生徒・学生)のために、真摯に教育に取り組む姿勢を持っているかどうか」

という点です。

この姿勢がなければ、教育に関しては本末転倒であり、教育においては、あくまでも「教えている対象」(生徒など)が主役であり、何よりもまず、彼ら(相手)に目を向けることが大切だと考えるからです。

また、このことは、教育だけではなく、ビジネス全般においても同じことが言えると思っています。

「松下幸之助氏(松下電器=現パナソニックの創業者)や

稲森和夫氏(京セラ・KDDI創業者)などの立派な経営者は、利益が出ても、会社の規模が大きくなっても、お客さまのため、社会のためという原点をぶれることなく貫きました。

お客さま第一や仕事を通じての社会への貢献が目的だからです。

(中略)

彼らは、決して金儲けのため、私利私欲のために仕事をしていたわけではなかったということです

私利私欲をなくし、お客さまのため、社会のために良い仕事をしようという一心で仕事を続けた結果、売上高や利益が出たのです。

(中略)

しかし、そこでも慢心せず、最後までお客さま志向を貫いた結果、長者番付にのるほどの大金持ちになったのです。」

(小宮一慶「ぶれない人」より)


ぶれない人 (幻冬舎新書)

「お金にこだわる人たち」を非難していいのか?

「お金にこだわる人たち」を悪いものだと捉える人もいますが、価値観は人それぞれなので、(よほど人道に外れたり、法を犯したりする場合でない限り)それ自体を非難すべきではないと(個人的には)考えます。

なので、逆に、②のタイプの先生(学校の先生)が、①のタイプの先生(塾や予備校の先生など)に対して、

「お金にこだわり過ぎだ。」

などと反論するのもおかしなことだと感じます。

上記の通り、「どちらのタイプが良い悪い」などという視点ではなく、タイプや職種に関係なく、「教育や教えている子どもたちに対して、真摯な姿勢で取り組む」ということを前提として教育活動をしているのであれば、(人それぞれのこだわりや価値観がどんなものであっても)いずれも正解でいいと思うからです。

私自身も、例えば、上記のように、教育に関して個人的な価値観やこだわりがあるように、人間であれば誰でも、人生において、何らかの価値観やこだわりを持っている(それぞれが大切にし、価値を置いているものがある)と思います。

何を大切にするかの価値観自体は、人それぞれなので、お互いに押し付けたり否定したりせずに、尊重し認め合うことも大切だと思っています。

フロイトが、人間のこだわりについて、こんなふうに言っています。

どうしてもお金にこだわって、お金を貯めないと気がすまない、ケチなひとがいる。

フロイトの分析によると、それは幼児のときの育ち方に関係がある。

排泄のしつけのときに、排便の感覚が、貨幣に対する感覚に結びついてしまった。

経済行動に、幼児に形成された性格が反映されるんだと。

だから、本人にはどうしようもないけれど、どうしてもお金にこだわる。

そういうこだわりを持っている場合、それ以外のものはどうでも良くなるから、金銭を中心に人生を送ることになる。

はたから見ると、なんでこのひと、こんなにお金にこだわるんだろう。

バカだな。もっと世の中には美しいものや、大事なものがいっぱいあるのに、と思えるかもしれない。

でも、そう思っていいのかという問題もある。

その人にとっては、そのこだわりは選べないもので、自分の人格の根幹である。

もしも何かのきっかけで、その価値観を疑うようになったら、人格が壊れて、パニックになるかもしれない。

(中略)

お金にこだわるバカなやつ、と言っているあなた。

あなたはお金にこだわらないかもしれないけれど、別ななにかにこだわっているはずだ。

そしてそのこだわりには、根拠がない(かもしれない)。

それなら、どっちもどっち。

無条件で生きられるひとなど、どこにもいないのです

(橋爪大三郎「正しい本の読み方」より)


正しい本の読み方 (講談社現代新書)

2、自分らしく生きていきたいから

私が教師をやめた理由の二つ目は、「自分らしく」自分の人生を生きていきたいと思ったからです。

「他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ」
(アインシュタイン)

自分を犠牲にして、他人のために生きる人生(仕事や生き方など)は、とても素晴らしく、立派だと思います。

誰かの役に立てることは、自分にとっても大きな喜びであり、生きる意味や価値など、自分の人生においてもプラスになることがあると思います。

でも、心からそう思う反面、教師として、自分の人生や生活や家庭などを犠牲にして、仕事のためだけに生きていくことを(上から)「強いられた」時に、自分の中で、少なからず葛藤がありました。

自分や自分の人生を大切にすることは悪いことなのか?

「あなたはまだ自分の人生を大切にしようとしている」

「あなたはまだ頑張っていない」

「〇〇先生は、家庭を犠牲にして頑張っている。あなたも(その覚悟で)頑張りなさい。」

これらは教員時代に、ある管理職(教頭)から言われた言葉です。

教師として正論だとは思いますが、当時の私は、過去のいじめやパワハラに起因する心の傷(後遺症)に苦しんでいて、精神的にとても辛かった時期だったので、こうした管理職からの言葉がとてもプレッシャーに感じたことを覚えています。

頭ではわかっていても、心がついていけずに、「頑張らないといけない」「変わらなければいけない」と思えば思うほど、心がどんどん辛くなって(精神的に追い詰められて)いきました。

自分の人生なのに、あまりにも「自分」がなかったり、我慢や無理をし過ぎてストレスを溜めたり(精神的に病んでしまったり)、自分を押し殺して生きるならば、結局のところ、自分だけでなく他人も大切にできなくなると、個人的には感じたからです。

(自分の中で「答え」が出るまで、色々と悩み葛藤しましたが)私は、自分の人生を生きていくために、(他人を大切にしつつも)自分も大切にしていきたいと強く思うようになりました。

大切にしたい5つの「自分」

自分の時間(「過度に」自分を犠牲にしない。)
自分の価値観(人生観・生き方・考え方・やり方など。)
自分の意思(自分の人生に関わることは自分で決める。)
自分のペース(周りに流されない・縛られない。)
自分らしさ(他人と比べない・競わない。)

周りの目や声/評価(「こうあるべき」「こうなるべき」など)を気にし過ぎたり、無理をして周りから求められる自分になろうとするよりも、私は、自分自身が「こうありたい」と望む自分になりたいと思っています。

「人は本来、個性という宝物を一つずつ持って、この世界に生まれ出たはずなのに、

いつのまにか自分らしさを見失い、学校や家庭や職場で求められる偽りの自己像に合わせ、

そして、つまらない自分になってしまう。

まずあなたがあなたらしく魅力的にならなければ始まらない。」

(須藤元気)

3、自分の「得意なこと」を伸ばしたい(好きなことを極めたい)から

この先何十年も「自分」(やりたいこと・学びたいことなど)を犠牲にして、教師としての職務を全うする
自分がやりたいことをして(得意なこと・好きなことを極めて)誰かのために生かす

長い間、二つの道で悩み葛藤しましたが、最終的に出した私の答えは、②の道でした。

自分の人生や生涯をかけてでも、やりたいこと(学びたい・極めたいと思えるもの)があるからです。

“どちらの道が良い悪い”ではなく、いずれの人生でも、「自分が決めた道」であれば正解だと思っているので、私としては、(教員になったことも、教員を辞めたことも)後悔はなく、むしろいずれも自分にとって正しい選択だったと思っています。

努力と才能

「誰もが才能を持っている。でも能力を得るには努力が必要だ。」
(マイケル・ジョーダン)

人それぞれ、ある対象に対する得手不得手、向き不向き、感性やセンス、才能のあるなしなどは、あると思います。

でも、対象は違えども、才能自体は、誰もが持っていると私も思います。

私の個人的な考えですが、何にせよ、やっていて楽しくて、長く続けることができるなら、少なくとも、その対象における才能はあると思っています。

たとえば、私自身、学問や勉強、スポーツや武道など、興味のあるなしにかかわらず、今までに色々と挑戦しましたが、才能のないものは、そもそもやっていて楽しいとは思えなかったし、なかなか伸びなくて、結局長くは続きませんでした。

逆に、長く続いたものは、本当に楽しくて、努力すればするほど伸びました。

少なくとも、その分野においては、才能があったからだと思っています。

でも、(学問やスポーツなどに限らず)、必ずしも才能があるだけで、その道で一流(プロ)になれるとは思わないし、逆に、その対象に対する才能がないからと言って、その能力が身につかないとも思いません。

全て自分次第

環境(指導者、周りのサポートなど)にもよりますが、いずれにせよ、本人の努力や気持ち(忍耐力・継続力・向上心など)次第だと私は思っています。

苦手なことでも努力によって克服して、得意にした人や、その分野で活躍されている人もたくさんいるだろうし、勿論、得意なことであっても、その道を極めるとなれば、人並み以上の努力が必要だと思います。

人によって、色々な人生や道があると思いますが、個人的には、将来の方向性を決める上では、自分の得意なこと(私の場合、自分の専門分野・好きな学問や勉強・英語など)を続けて、伸ばして(誰かのために活かして)いきたいと思っています。

4、「自分の道」を歩いていきたいから

教師をやめた四つ目の理由は、(一度切りの自分の人生なので)自分の意思で決めた「自分の道」を歩いていきたいと思ったからです。

あくまでも自分の感覚ですが、楽しい・面白いと思う気持ち、ワクワクする気持ちを信じています。

この気持ちに従って行動した結果、後悔したことは今までに一度もないし、私の場合、結果として、それが「自分の道」へ導いてくれているような気がするからです。

「自分には自分の道がある。

自分にしか歩けない道がある。」

人それぞれの道を歩めばいい

それぞれ自分の信じる道を進めばいいと思うし、誰も他人の人生・夢・生き方・価値観などについて、否定したり、決めつけたりするべきではないと思っています。

自分の意思と信念に従って、しっかりと自分の道を進み、時間をかけて自分の能力(得意分野)を育てていきたいです。

自分には自分に与えられた道がある。

天与の尊い道がある。

どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。

自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。

広い時もある。せまい時もある。

のぼりもあればくだりもある。

坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。

なぐさめを求めたくなる時もあろう。

しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。

いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。

自分だけしか歩めない大事な道ではないか。

自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。

道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。

心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。

深い喜びも生まれてくる。

(松下幸之助「道」)

5、目の前にある道は一つだけではないと気づいたから

再び「学者(研究者)の道」に挑戦(リベンジ)することを決意

中途半端に諦めた、学者になるという夢への後悔や、研究への心残り、研究を続けたい(好きな学問を究めたい)という想いや情熱は(教師になってからも)ずっと消えず。

長くて暗いトンネルの中を彷徨っているような感覚の中、手探りで出口(光)を探していたところ、ずっと行き止まりに思えていた道(夢に繋がる新しい別の道)が、一つ開けたことがあり、その瞬間、暗いトンネルからようやく抜け出せたように明るい光が見えた(未来に希望を持てた)ように思えました。

「意志のあるところに道は開ける。」

(リンカーン)

状況・心境の変化

今は、自分の人生を急いで(焦って)いないこと
自分らしい生き方を見つけたこと
目の前にある道は一つだけではない(別の道もある)と気づいたこと
今までの経験を無駄にせずに(その経験を土台として)活かせる道を見つけたこと
最終的に夢につながる(点と点が一本の線になる)ことをイメージできる新しい道が開けたこと

と同時に、自分の心が抑えられなくなった(色々な面で自分の状況も変わっていた)ので、思い切って、全てをリセットして、もう一度(過去に一度諦めた)夢を追いかけようと決めました。

人生(頂上までの道)はまだまだ長いので、道中で色々と寄り道もしつつ、楽しみながら、夢に向かって自分らしく生きていきたいと思っています。

バラバラな点(経験など)が、最終的に一本の線で夢につながるべく、時間がかかっても、自分が本当にやりたいこと・好きなこと・得意なことをこれからも突き詰めて伸ばしていきたいです。

一生かかっても、ついにそれ(本当に愛するもの)が見つからない人も多いと思うんだよ。

だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、

そういうふうに導かれているんだと信じることだね。

だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃうんだよ。

だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。

その開いたドアが、自分のいちばん求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。

そこへ入る、またドアが全部閉まっている。

必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。

ういうところをひとつづつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ。

(リチャード・バック)

6、根本から立ち直りたいと思ったから

ポジティブで前向きな退職

長い間、過去のいじめやパワハラなどに起因する心の傷に苦しみましたが、思い切って、その根本となっていることから離れる(教員を辞めて、「自分の道」を進む)ことで、立ち直るきっかけをつかむことができました。

私にとって、教員を退職することは、ネガティブな決断ではなく、「自分が根本的に立ち直る」ためのポジティブな選択だったと思っています。

環境や気持ちを切り替え、人生をリセット(リスタート)する転機になったこと。

そして、上記のように、夢に繋がる新しい道も開けたからです。

「1つのドアが閉まれば、もう1つのドアが必ず開きます。

それはバランスをとるための、自然の法則なのです。」

(ブライアン・アダムス)

「学び直し」も継続しつつ、今は前向きに、自分の未来に希望を持って、自分の好きな研究に専念することができている(過去のトラウマ等も克服することができた)ので、結果として、自分の選択は正解(ポジティブな退職)だったと思っています。

教員になることをおすすめするか?

自分の経験を踏まえて、

教員になることをおすすめするか?

と聞かれたら、「人による」と答えると思います。

おすすめする人

以下のような人は、教員に向いていると思います。

①ボランティア精神で職務に(授業以外の激務にも)あたれる人

お金に(過度に)価値を置いていない人、収入や稼ぎなどにこだわらない人など。

②自分よりも「他人のために生きる」強い意志や熱意のある人

自分を犠牲にして教育活動に尽くす覚悟がある人。

実際に、自分の人生(時間、生活、家庭など)を犠牲にして、仕事のため(だけ)に尽くすことを「強いられる」場合があります。

それでも、勿論、誰にでもできることではなく、人を育てるという意味でも、やりがいが多くとても尊く素晴らしい職業だと思っています。

おすすめしない人

以下のような人は、教員に向いていないと(個人的には)思っています。

①ボランティア精神で職務に(授業以外の激務にも)あたることを苦痛に思う人

お金をたくさん稼ぎたい人やビジネス(起業など)をしたい人など。

「自分の人生」を生きることを望む人

自分らしく生きていきたい人、自分の時間や人生なども大切にしたい人、他にやりたいこと(夢など)がある人、組織に縛られず自由に生きていきたい人など。

私自身も含めて、教師をやめた人たちは、②のような理由でやめる人が多いと感じました。

【教員を退職した人たちのその後】(例)

海外で活躍している人(大学/大学院に留学している人、海外を拠点に教育活動をしている人など)、

起業した(ビジネスを始めた)人、

そして、教職経験を土台に、別の方向・方法で教育活動を継続している人(学術研究の道に進む人、教員養成に携わる人、著者、通訳、翻訳の道に進む人など)。

人によって退職の理由は様々ですが、それぞれ「自分の道」を見つけて、「自分の人生」を楽しみながら、次のステージで活躍されていると思います。

なので、必ずしも、退職はネガティブなものではなく、ポジティブなものでもある(自分の人生における新しいスタートを切るためのきっかけになる)と私は思っています。

以上、それぞれ2つずつ挙げましたが、いずれにせよ、周りにいる誰が何と言おうと、自分の人生は、「自分の意思で、自分で決めること」が大切だと考えます。

教育者としてのあり方

以上を踏まえて、「教育者」を定義する上で、個人的に大切だと考える資質は、以下の二つです(勿論、他にも色々あると思いますが)。

1、教え子にあこがれられるほどの人間力と教育力(情熱や教育的愛情など)

教え子の人生に影響を与えられるほどの教育力(信頼・情熱・指導力・学び続ける姿勢・人間的魅力など)を持っている先生の存在や、そのような先生との出会いは、とても貴重でかけがえのない財産だと考えます。

2、「教育者」としての視点や姿勢や信念を大切にしている

①日本の教育や子どもたちのために教育活動を行うという姿勢を持っていること。

→あくまでも主役は、教えている対象(児童・生徒・学生)であるという視点・姿勢を忘れないこと。

②物事を多面的に見て、自分とは異なる価値観も尊重し、認める姿勢を持つこと。

③どのような形・方向であれ、教育者としての信念を持って教育活動を行っていること、など。

まとめ

私が教員になった4つの理由

1、尊敬する恩師と同じ道に進みたいと思ったから
2、人生における挫折と方向転換
3、英語を使って仕事をしたいと思ったから
4、周りが良いと言うから

私が教員をやめた6つの理由

1、精神的に病んでしまったから
2、自分らしく生きていきたいから
3、「自分の道」を歩いていきたいから
4、自分の「得意なこと」を伸ばしていきたい(好きなことを極めたい)から
5、目の前にある道は一つだけではない(別の道もある)と気付いたから
6、根本から立ち直りたいと思ったから

こうして振り返ってみると、私の場合、決して、他人に誇れるような立派な理由で、教師になることを決めたとは言えないかもしれません。

教員時代は辛いことの方が多く、正直なところ、自分には向いていなかったとも思っていますが、それでも勿論、良いこともたくさんありました。

むしろ、自分の人生における経験として、教員になったことは全く後悔していないし、教員になって良かったと思っています。

教員になってよかったこと

①たくさんの良い生徒に恵まれたこと。

②授業が本当に楽しくて、自分にとってかけがえのない貴重な経験になったこと。

③現場を知れたこと(理論を学ぶだけではなく実践もできたこと)。

④他人の心の痛みが理解できるようになったこと。

⑤自分と同じような理由で悩んでいる人たちの役に立てる人間になりたいと思えるようになったこと。

⑥自分の道(本当に好きなこと・やりたいこと)が見つかったこと。

⑦「次のステージ」(現在)に繋がったこと、など。

全て繋がっている

私の夢は、全て繋がっているので、この教職経験を通して得たことを(何一つ無駄にせずに)、次の「自分の道」で活かしていきたいです。

現場を知っているからこそ、できることがあると今も痛感しているので、これからも、私なりの、また別の形で、別の方向から、教育に携わっていきたいと考えています。

そして、日本の教育(英語教育含む)に貢献できる立派な教育者(研究者)になれるように、これからも生涯をかけて学問研究に勤しみたいと思っています。

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