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【人が他者を評価する基準7選】財前派?里見派?「白い巨塔」をめぐって

目次

「正しい価値観」と「個人の価値観」の違い

リアルであれネットであれ、人間関係において、好感が持てる人もいれば、どうしても好感を持てない人もいます。

尊敬できる人がいれば尊敬できない人もいます。

多くの人に好かれている人でも、個人的には好きになれなかったり、逆に、多くの人に嫌われている人でも、なぜか自分はその人のことを憎めないという場合もあります。

そして、誰からも好かれる人はいないし、誰からも嫌われる人もいないと思います。

人間関係はお互いの「価値観」次第?

世の中には、あげたらキリが無いくらい(人の数だけ)たくさんの価値観が存在します。

そうした「個人の価値観」に関しては、人それぞれ様々であり、万人に共通する正解はないので、何が「正しい・正しくない」などと、自分の価値観だけで一方的に決めつけたり、他人の価値観を否定したり、自分の価値観を他人に押し付けたりすべきではないと思っています。

が、一般的に、多くの人に(共通して)「正しい」(あるいは「間違っている」)と認識されている価値観や考え方(普遍的な真理)はあると思います。

これら二つの価値観は、それぞれ、以下のような違いがあると考えます。

「正しい価値観」と「個人の価値観」の違い
❶「正しい価値観とは、一般的に、多くの人に共通して「正しい」と認識されている、(普遍性のある)価値観(真理)。
❷「個人の価値観」とは、人それぞれが持つ「正解がない」(普遍性のない)価値観。

では、そうした(一般的・普遍的に多くの人に共通して認識されている)

「正しい価値観」や「間違った価値観」とは、どのようなものなのか?

「正しい価値観」を身につけるべきか?

また、人間関係(お互いの印象など)を左右する最も大きな要素は、それぞれの人間が持つ「価値観」だと考えます。

そしてその上で、多くの人は、一般的・普遍的に認識されている「正しい価値観」(「間違った価値観」)というよりも、むしろ、”自分にとって”正しい・間違っていると考える「個人の価値観」に基づいて、相手に対する印象を判断していると思っています。

したがって、それぞれの人間関係も、それぞれの「個人の価値観」によって(良くも悪くも)変わることがあるとも考えます。

では、そうした「個人の価値観」によって、人の印象が判断される場合、

人はどのような基準で、相手を(尊敬できるかできないか・好きか嫌いかなど)を評価&判断しているのか?

さらに、自分が大切にしている(価値を置いている)

「個人の価値観」は、どのようにして知ることができるのか?

この記事では、人の「価値観」にまつわる、以上の4つの疑問に関して、(以下の順番で)自分なりの考えを書いていきたいと思います。

1、他人に対する印象(尊敬できるかどうか・好きか嫌いかなど)を分ける7つの基準
→人は何を基準にして、相手を(「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」などと)評価&判断しているのか?
2、「正しい価値観」「正しくない価値観」とは?
→一般的に多くの人に「正しい」「間違っている」と認識される価値観(普遍的な真理や考え方)とは?
3、自分の「個人の価値観」を知る方法とは?
4、「正しい価値観」を持つべき6つの理由

「尊敬できるかどうか&好きか嫌いか」などを分ける7つの基準

人は、少なくとも以下の7つの基準(個人の価値観)に基づいて、他人のことを(「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」など)判断していると考えます。

1、類似性があるか

人が他人について「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」などを判断する1つ目の基準として、「類似性・非類似性」があると考えます。

人は「自分と似たところのある人」(外見・内面・同じ価値観や共通点を持つ人など)を好むとされます。

勿論、例外もあり、自分とは全く正反対の人に惹かれたり、自分とは異なるタイプの人を好きになることもあると思いますが、

類は友を呼ぶ

とも言われるように、基本的に、人は、以下のような人に対して、好意や親近感を持つ傾向があると考えます。

自分と共通点のある人
自分を投影できる人
自分と同じような(似た)タイプの人
自分が理想とする人(「こうなりたい」と思える人)」など

例えば、人種、宗教、環境、出身、知的水準、興味関心、趣味や特技、価値観や思想、好きなものなどが共通する人など。

なので、誰かに「尊敬する人や好きなタイプの人は誰なのか」を聞けば、大体その人が重視している価値観やその人のタイプ・本性(外見・人間性など内面的な要素など)もわかるように思います。

人が「尊敬する人」とは?

「尊敬する人はだれですか?」

と、誰かに尋ねた時に、あくまでも例ですが(例外もあると思いますが)、以下のように、それぞれの持つ価値観に応じて、(自分や他人が)尊敬する人物像は、ある程度、決まってくると考えます。

価値観に応じて人が「尊敬する人」(例)

学問や教養(学や知)などに価値を置く人は、歴史に名を残した偉大な学者・研究者・文豪・偉人・賢人などを、
ファッションやブランドなどに価値を置く人は、世界的に名高いモデルやデザイナーなどを、
ビジネスやお金などに価値を置く人は、有名な経営者や大富豪などを尊敬する傾向があります。

人が「好むタイプの人」とは?

また、人は、自分が価値を置いているもの(外見的な特徴や人間性など)を有しているタイプの人に惹かれることも多いと考えます。

「好きなタイプの人はどんな人ですか?」

と、誰かに尋ねた時に、あくまでも例ですが(例外もあると思いますが)、以下のように、男女関係なく、それぞれの価値観(タイプ)に応じて、好きな人のタイプは、大体決まってくると考えます。

価値観に応じて人が「好むタイプの人」(例)

知性に価値を置いている人は、知的で教養のある人を、
学歴に価値を置いている人は、高学歴な人を、
能力や才能に価値を置いている人は、有能・優秀・多才な人を、
体力に価値を置いている人は、筋肉質で強靭な肉体を持つ人を、
人間性に価値を置いている人は、人格的に高潔で立派な人を、
品性に価値を置いている人は、気品や品格のある人を、
ユーモアや笑いに価値を置いている人は、芸のある面白い人を、
お金に価値を置いている人は、お金を稼いでいる人を、
地位に価値を置いている人は、社会的地位や身分の高い人を、
名誉に価値を置いている人は、特定の分野で高い評価や栄誉を得ている人を、
外見に価値を置いている人は、外見的に魅力を感じる人
を好きになる傾向がある。

勿論、人が価値を置くものは一つとは限らず、複数ある場合もあるので、(それぞれの価値観に応じて)尊敬する人や好きなタイプの人が複数いる場合もあると思います。

私自身も、価値を置いているものはたくさんあるので、尊敬する人や好きなタイプもたくさんあります。

2、共感できる面があるか

人が他人について「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」などを判断する2つ目の基準として、「共感性」があると考えます。

上述した「類似性」や「共感」の法則は、必ずしも、リアルな人物だけではなく、架空の人物(アニメや映画やドラマなどのフィクションの人物)に対しても当てはまると考えます。

私の場合、男女関係なく、歴史上の(リアルな)人物で「好きなタイプの人」や「尊敬する人」はたくさんいますが、フィクションの人物に対しても、同様に、(類似性・非類似性だけではなく、共感できるかどうかを基準に)好き嫌いを感じたり、尊敬できたりできなかったりする場合があるからです。

不朽の名作「白い巨塔」の二人の名医〜財前五郎と里見脩二〜

個人的に、「好きなタイプ・尊敬する人」と聞いて、すぐに思い浮かぶ(架空の)人物は、「白い巨塔」の二人の主人公(財前五郎里見脩二)です。

以下、(個人的に書きやすく、とてもわかりやすい例だとも思えるので)彼らを例として(この記事では、主にフジテレビ系のドラマ「白い巨塔」の二人の主人公を基に)、人が他人を評価したり判断したりする上で基準としている価値観(「個人の価値観」と「正しい価値観」)について、考えてみたいと思います。

原作は、言わずと知れた山崎豊子氏の名作「白い巨塔」。


白い巨塔(一)(新潮文庫)

大学病院内での医者同士の(出世や権力や派閥などをめぐる)醜い”いがみ合い”にとどまらず、ポーランド・ワルシャワ(国際外科学会)や、”負の遺産”としても知られるアウシュビッツ(ビルケナウ強制収容所)にまで及ぶ、スケールの大きな撮影なども通して、命の尊さや医師としてのあり方などを深く考えさせられる(後世にも伝える)とてもメッセージ性が強く意義のある作品だと思っています。

主人公は、天才外科医として名をはせ、医学界のみならず、(メディアやマスコミに取り上げられ)何かと世間でも目立つ存在の財前五郎(唐沢寿明)。

そして、(彼とは対照的に)実直に”内科医としての職務を全うしよう”という一心で、日々の研究や目の前の患者に対して真摯に向き合う里見脩二(江口洋介)。

前半は、「教授選」、後半は、一人の患者の死をきっかけとした「医療裁判」を中心に物語が進み、終始、目が離せないストーリー展開です。

個人的に、このドラマにはまり、台詞を覚えてしまうくらい、何度も繰り返し観ました。


白い巨塔 DVD-BOX 第一部

私の「好きな悪役」
「白い巨塔」の財前五郎(唐沢寿明):国立大学医学部教授(外科医)

「白い巨塔」は、今までに何度もドラマ化された”不朽の名作”で、何人もの役者が、主役の財前五郎や里見脩二の役を演じています。

レビューなどを見ると、「田宮版」の評価が高いようですが、個人的には、「唐沢版」しか観ていない(観る気がしない)というくらい、「白い巨塔」のイメージがこのドラマで固定化されました。

唐沢さんが演じる財前五郎は、以下のように、医者としての立派な経歴(確かな技術など)を持っている反面、人間的には(医師としても)、決して肯定できない面がいくつもある(一般的に「間違った価値観」を持っている)と思います。

浪速大学病院第一外科助教授、後に第一外科教授。

傲慢で上昇志向が強いが、助教授時代から大学での臨床講義を熱心に行い、胃の縫合法である「財前式縫合」を考案するなど、医学者としても情熱を持っていた。

だが、教授になった後、里見脩二らの忠告に耳を傾けなかったために佐々木庸平を死なせてしまい、結果裁判に巻き込まれる。

裏切った者を容赦なく切り捨てるなど、次第に人間味を失っていく。

(「財前五郎」Wikipediaより)

が、個人的に、財前は、決して「嫌い」ではなく、むしろ「好きな悪役」だと捉えています。

その理由も、後述しますが、人間としてどこか「共感できる面」もあるからだと考えています。

私の「尊敬する人」
「白い巨塔」の里見脩二(江口洋介):国立大学医学部助教授(内科医)

一方で、「好きなタイプ・尊敬する人」として、(上記の通り、「好きな悪役」と共に)思い浮かぶのが、「白い巨塔」のもう一人の主役である里見脩二です。

(私の中で、外見的にも内面的にも里見のイメージにぴったりハマる「江口さんが演じているから」という理由もありますが)里見は、私自身が価値を置いている色々な面において、人間としても学者としても医師としても、尊敬し理想とする憧れの人物像そのものだからです。

浪速大学病院第一内科助教授。財前五郎とは同期で終生のライバル。

財前とは進む道も考え方も全く対照的で、偉くなりたいから大学に残っているのではなく、ただ研究がしたいから大学に残っているタイプの人間。

出世には無関心で、完全なる現場主義者。

日に日に弱っていく患者を少しでも助けたいと病理学教室から第一内科へと転じるも、研究一途の姿勢は不変で、学内の権力争いには嫌気が差している。

(「里見脩二」Wikipediaより)

では、どちらかといえば「悪役」の財前の魅力とは何なのでしょう。

「白い巨塔」財前五郎の2つの魅力〜悪役でも好きになる理由〜

勿論、医者(外科医)としての確かな実力、並外れた高い能力や技術が「財前五郎の最大の魅力」であることは言うまでもないのですが、それとは裏腹に、以下のように、彼には人間性において多くの欠点(多くの人が忌諱に思う要素)もあります。

財前五郎の人間性7選

偉そう(尊大・傲慢・高慢・横柄)
野心家
(権力・地位・名誉を得ようという野望に燃えている)
目的のためには手段を選ばない
(周りの人間、コネ、お金、政治力、権力などを利用して、なにがなんでも手に入れようとする)
競争心や闘争心が強い
(他人との比較や勝ち負けや上下にこだわる)
功名心・名誉欲や出世欲が強い
(教授と助教授の地位の差にこだわる)
自信家
(プライドが高い=「誇り・自尊心」よりも「おごりや自惚れ」の方が強い)
向上心・上昇志向が強い
(人の上に立とうとする、より「上へ上へ」とどこまでも高みを目指す)

常に「上から目線」(高圧的な態度)で、誰に対しても偉そうに振る舞い、自らの威厳を保とう(権力や威圧感で周りを支配しよう)とする。

そして、目的のため(教授になるため)には手段を選ばず、医者としての倫理観や品格に欠けた振る舞いをする(本能の赴くままに行動する・目的のために周りにいる人を利用したり、あらゆる汚い手=政治力やお金などを使って、あの手この手で欲しいもの=教授のポストなどを手に入れようとするなど)。

「俺は偉くなりたいんだ。」

「俺は教授になるよ。”確実なもの”が欲しいからね。」

「俺以外に誰が教授になるんだ?」

「教授になれないなら、助教授なんてバカバカしくてやっていられるか。」

「一番になって、より多くの人間を従えて歩きたい。男なら誰でも思うことじゃないのか?」

(「白い巨塔」財前五郎の言葉)

財前の言葉からは、彼の(どうしても教授になりたいという)あくまでも「教授」という地位や名誉に対する強いこだわりや価値観があからさまに伺えます。

そして、財前だけではなく、彼の周りにいる人間(医者)に関しても、汚い部分(医師としての倫理観に欠ける非人間性・権力や圧力や欲望に屈する弱さやずる賢さなど)も、これでもかというくらいリアルに表現されています。

が、上述したように、個人的に、財前は「好きな悪役」だと思っています。

悪役なのに好きになる理由は、主に以下の二つです。

1、共感できる「人間らしさ」〜内面的なギャップ〜

「白い巨塔」において、財前はヒール役(悪役)ですが、好きだと思う理由の一つは、「人間らしい」と共感できる部分(ギャップ)も多いからです。

❶毎月母親に仕送りをしていたり(「お母ちゃん」と呼んで大切にしていたり)、

❷同期の里見のことを、実は誰よりも信頼していたり、

❸一貫して強気な態度を貫きつつも、内心では「(里見に)認められたい」「(里見には)勝てない」と思っていたり、

❹誰よりも勉強家だったり(奨学金で医学部を出て、立派な医者になるために夜な夜な勉強を頑張ったり)、

❺最期には(自らの病や死と向き合いつつも)まだやり残したことがあるという無念さや心残りや弱みを見せたりするなど、

人間として、どこか共感できる(憎めない)部分や内面の葛藤やギャップも所々で垣間見えるからです。

終盤では、同情の余地もあったり、最後には彼のために涙を流したり感情移入をした人も多いと思います。

2、上昇志向と向上心〜上(トップ)を目指してどこまでも向上する努力家

上昇志向向上心は、似ているようで、若干意味が異なると思いますが、財前の場合、両方の意味が当てはまると思っています。

「上昇志向」とは、自分の能力や生活水準、社会的地位などを常に高めようとする考え。

「向上心」とは、現在の状態に満足せず、よりすぐれたもの、より高いものを目ざして努力する心。

(Goo国語辞書より)

そして、財前は、お金というよりも、社会的な地位・出世・名声・名誉・上下関係(あくまでも助教授と教授の「地位の差」)などに過剰にこだわります。

天下の国立浪速大学医学部(架空の大学)のトップ(一流の外科医・大学教授)を目指し、どこまでも「上へ上へ」と上昇していこうとする野心家(良く言えば、向上心のある努力家でもある)として描かれます。驚くのは、その野心や欲望が底無しに強いということです。

あれだけ欲していた「教授」の地位を得た後でも、彼はさらにその上を目指そうとします。

鵜飼を抜いて医学界の頂点に立ってやろうという野心まで抱くようになった。

(「財前五郎」Wikipediaより)

「上ー下」「勝ちー負け」で世の中を見るスキーマを持つ人は、絶えず他人と自分を比較する。

そのようなタイプにとっては、相手と自分のどちらが上か、どちらが勝っているかが問題なのだ。

(榎本博明「上から目線の構造」より)

このような闘争心や競争心が強い(他人との比較や勝ち負けや上下関係にこだわる)野心家な人は、一般的に、多くの人に批判・非難される傾向があると思います。

「理想というものは、大いなる魂に宿るものですが、野心というものは、ちっぽけな魂に取り付くものでね。」

「白い巨塔」東教授(石坂浩二)の台詞より

財前のやり方としては、限度を越えていて、人間としても学者としても医師としても、非難されて仕方のないものだったと私も思っています。

が、私個人としては、(傲慢・尊大・横柄になったり、汚い手段を用いて他人を貶めたり蹴落としたり、法を犯したりするなど、人道に外れたことをしない限り)、一番(頂上)を目指して「上へ上へ」とどこまでも向上していこうとする(上昇志向で向上心のある、努力し続ける・学び続ける)人を、内心では尊敬しています。

功名心や野心などの「欲」は悪か

財前のように、特に男性の中には、功名心(手柄を立て、成功して認められたいと思う気持ち)や欲(名誉欲・出世欲など)がある人も多いと思います。

が、これらも、人としての「正しい価値観や考え」に基づいた「正しい理性」が働いていることを前提とするならば、決して悪いことではない(自身の能力や技術を高め、より成長させるエネルギーになるという点でむしろ良いことだ)と私は思っています。

「欲は、エンジン。理性は、ハンドルとブレーキ。」

「欲は、モチベーションを高めてくれるエンジンのようなものだから、ある方がいい。

でも、暴走しやすいものでもあるから、

「理性」というハンドルとブレーキを上手に使って、正しくコントロールしていかなければならない。」

(小宮一慶「ぶれない人」より)

3、希少性があるか

人が他人について「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」などを判断する3つ目の基準として、「希少性」があると考えます。

ここでは、希少性の例として「白い巨塔」の里見脩二を挙げたいと思います。

「白い巨塔」里見脩二の魅力とその人間的な希少性〜信念の人〜

個人的に、「白い巨塔」にここまでハマり、深く心を惹かれたのは、財前五郎とは対照的に、絵に描いたように崇高で立派な里見脩二(江口洋介)の存在があるからでもあります。

里見は架空の人物ですが、(個人的に尊敬に値する)以下のような人間的特徴を持つという点で、私にとっては、ある意味メンターのような存在だと捉えています。

自分を見失いそうになったり、「正しい心や考え方」を持ちたいと思った時などに、何度も(ドラマを)観て拠り所にしてきたからです。

里見脩二の特徴9選

高い志や理想
高い倫理観や使命感
(一人ひとりの患者や命と真摯に向き合う姿勢)
高潔さ
学者肌(研究一筋)
誠実さ
(他者への愛情・思いやり・敬意・真面目で実直な人柄)
ぶれない信念
(流されない・損得で動かない・権力や圧力に屈しない芯の強さ・自分の軸)
正義感
(患者や医療の発展のために真実を追求する姿勢)
責任感
人格者

とはいえ、人間の価値観や人生(生き方など)は、必ずしも「綺麗ごと」ばかりではないとも思っています。

人間である以上、どんなに否定しても、「目に見える外面的な幸せ」(社会的地位、名誉、権力、名声、学歴、経歴、お金、肩書きなど)を得たいと考えるものだと思います。

そうした欲を表に出すか出さないか、あるいは、(大きいか小さいかの)程度の違いはあると思いますが、どんな人でも、形はどうあれ、少なくとも「人に認められたい」という本能的な欲求(承認欲求)が少なからずあるからです。

勿論、それは、人間として自然なことであり、悪いことでもないと思います。

そして、「人間らしい」という意味で、財前のような人間(欲望や野心、私利私欲、利益、損得などに振り回される人)は、世の中にはたくさんいると思っています。

が、里見のような(上記のような人間的な欲がほとんどない)人間は、現実にはあまりいない(比較的少ない)のではないかと考えます。

でも、希少だからこそ、里見のような人間(信念の人)に、価値や魅力を感じるのだとも思います。

関口さん(弁護士)は、私利私欲のために

(医療裁判を)やっているのではないと思います。

人は、利益や損得に振り回されるものです。

しかし時には信念に突き動かされることもあるのではないでしょうか?

(「白い巨塔」の里見脩二)

里見「医者である限り、どんなことがあっても、患者を守るために全力を尽くすべきじゃないのか。」

「教授というものはなろうとしてなるものではない。研究を重ねて、認められてなっていくものだ。」

財前「それは君と僕との人生観の違いだよ。」

(「白い巨塔」より)

(野心や欲望に取り憑かれ、医師としての倫理観や品格に欠ける財前に対する)里見の言葉の全てが心に重く深く響きます。

組織の中の権力争いや、上からの圧力や権力などに屈することなく、一貫して、自分(医師としての信念や理想)を貫き、医学の進歩や患者のために、常に正しいことや真実を追求し、日々の研究に真摯に取り組む、ひたむきな姿勢に心を打たれるからです。(あくまでもフィクションであり、里見は実際の人物ではなく、上述したように、存在自体がまれだと思いますが)、本物の学者(医学者)・研究者・医者とは、まさに彼のような人を言うのだろうと思っています。

4、「ぶれる」か「ぶれない」か

人が他人について「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」を判断する4つ目の基準として、「一貫性」(ぶれるか、ぶれないか)があると考えます。

「白い巨塔」における二つのタイプの医者

「財前くんは、確かにメスの切れる男だ。

優秀な技術屋であっても、学者ではないんです。

国立大学の教授として、一つの教室を預かり、若き医学者を育成する器ではない。

私はね、そんな志の低い技術屋より、あなた(菊川教授)のような真の学者に第一外科を引き継いでほしいんですよ。」

(「白い巨塔」の東教授)

「白い巨塔」には、国立大学医学部内の醜い権力争いや派閥間での対立などがリアルに描かれますが、大学病院の中には、上に引用した東教授(石坂浩二)の言葉にあるように、以下のような2種類のタイプの医者がいることが示されます。

勿論、あくまでもフィクションの内容を基にした区別なので、信憑性(実際にこのような医者がいるかどうか)は判断しかねますが。

医者には2種類のタイプがいる?〜ぶれる人とぶれない人〜

私利私欲が剥き出しの(出世欲や名誉欲の強い)「医者」
→財前教授(唐沢寿明)、鵜飼教授(伊武雅刀)などその他大勢の医者。
医学の進歩や患者のために一貫して真摯に研究に向き合う(学者気質な)「医師」
→里見助教授(江口洋介)、大河内教授(品川徹)など。

(「白い巨塔」に出てくる医者たちに関して)最初から①のタイプだったという医者もいると思いますが、中には、元々は②のタイプの医者を志していたものの、徐々に欲のエネルギーに支配されて、①のタイプに変化していった(ぶれてしまった)医者もいるのかもしれません。

「頭では分かっても、経営の実践の場では、どうしてもお金に対する欲が先に立ってしまう人が少なくないのです。」

(中略)

「お客さまのためと表向きは言いながらも、それが儲けるための手段である限りは、途中でお金に目がくらんだり、その他の欲に溺れてしまう人はたくさんいます。

お金は魔物とはよく言ったもので、人を幸せにする道具であるはずのお金に、こちらが振り回されてしまうことは往々にしてあるものです。」

(小宮一慶「ぶれない人」より)

上記の引用は、主に「経営者」(ビジネスを生業としている人たち)を例として挙げているので、彼らをぶれさせていく「欲」=お金として捉えていますが、(「その他の欲に溺れてしまう人はたくさんいる」と書かれているように)このことは、お金に限らず、あらゆる人間の「欲」に対しても当てはまると考えます。

人それぞれの「個人の価値観」や職業などに応じて、それぞれが溺れる欲も異なるからです。

例えば、「白い巨塔」に出てくる①のようなタイプの医者たちの多くは、お金というよりも、地位や名誉や出世や名声などにこだわり、そうした欲に溺れて(ぶれて)いきいます。

(彼らにとって、お金はあくまでもその「目的」のための「手段」=目先の利益に過ぎないので)

「正しい価値観」を持つ人たちの言葉〜「白い巨塔」より〜

一方で、(正しい考え方や価値観については)後述しますが、里見に限らず、「正しい考え方や価値観」(普遍的な真理/倫理観や道徳観や使命感など)を持つ人たちは、例外なく、(財前のような)①のタイプの医者に対して、批判的な見方をしています。

例えば、「白い巨塔」における、以下の二人の言葉が印象に残っています。

「彼(財前)は政治家にでもなったつもりか。

医者としての本分を忘れている。」

(「白い巨塔」大河内教授)

まず、病理学科の(堅物として知られる)大河内教授(品川徹)の言葉です。

「医療に絶対はない。だから医者は悩み続けなければならん。

君(里見)の苦悩を私は支持するよ。」

(「白い巨塔」大河内教授)

里見と大河内教授は、類似性のある似たタイプ(「正しい価値観」や信念を持つ学者気質の医師)なので、お互いに認め、信頼し合っている良好な関係性が窺えます。

(里見は)愚直で融通が利かない性格であるため、政治力で医学部長にまで上り詰めた直属の上司、鵜飼からは煙たがられていたが、病理学の大河内教授は、里見の医学者としての姿勢を高く評価していた。

(「里見脩二」Wikipediaより)

そして、もう一人は、東教授の娘である東佐枝子(矢田亜希子)の言葉です。

「ここには『医師』はおりません。」

(「白い巨塔」の東佐枝子)

短い言葉の中に、彼女の痛烈な皮肉が込められています。

彼女もまた、里見のような高潔な人物に好印象を抱き、医師として認めているので(類似性や共感を持っているので)、主に、①のような医者を軽蔑し、②のような医師(特に里見)を尊敬している(里見に恋心も抱いている)のがわかるからです。

彼らの言葉から、(医学や患者のためではなく、私利私欲を満たすことしか考えていない上記の①のようなタイプの医者に関して)本物の「医師」として”認めていない”という、強い信念がうかがえる(皮肉も込められている)と感じます。

ここで私が(ドラマの内容や台詞を基に)医者を二つのタイプに分類したのは、「医者」を批判しているわけではありません。

あくまでも、医者としての本分(本来持つべき性質・役割・義務など)を忘れ、どんどん「ぶれていく」①のタイプの医者たちに対する、彼ら(里見や大河内教授や東佐枝子)の価値観に対して、(彼らが持つ「個人の価値観」だけではなく、「正しい価値観」としても)、個人的に「共感」したからです。

上記の大河内教授の言葉にもあるように、人には、それぞれの職業に応じて、備えておくべき(ぶれてはいけない)「本分」があると思っているからです。

例えば、(以下は、あくまでも例であり、他にも色々あると思いますが)、

医者には、医者としての本分。
学者・研究者には、学者・研究者としての本分。
政治家には、政治家としての本分。
教育者には、教育者としての本分。
公務員には、公務員としての本分。
経営者には、経営者としての本分、など。

大切なのは、それぞれの分野において、自分の「本分」を忘れずに(ぶれずに)、社会や人のために貢献しようとする姿勢(利他心)だと痛感させられます。

しかし、(小宮一慶「ぶれない人」で度々書かれているように)、多くの人は、(最初は、世の為人の為に役に立てる人間になるべく、志を持って、その職業を選んだ人であっても)徐々に自らの欲に溺れて「ぶれていく」傾向にあると思います。

「ぶれない人」はいるか

でも、勿論、中には「ぶれない人」もいます。これは、(医者も含めて)その他の職業においても同じだと思っています。

「松下幸之助氏(松下電器=現パナソニックの創業者)や

稲森和夫氏(京セラ・KDDI創業者)などの立派な経営者は、利益が出ても、会社の規模が大きくなっても、お客さまのため、社会のためという原点をぶれることなく貫きました。

お客さま第一や仕事を通じての社会への貢献が目的だからです。」

(中略)

「彼らは、決して金儲けのため、私利私欲のために仕事をしていたわけではなかったということです。

私利私欲をなくし、お客さまのため、社会のために良い仕事をしようという一心で仕事を続けた結果、売上高や利益が出たのです。

(中略)

しかし、そこでも慢心せず、最後までお客さま志向を貫いた結果、長者番付にのるほどの大金持ちになったのです。」

(小宮一慶「ぶれない人」より)

小宮一慶氏の著書「ぶれない人」は、人や物事の本質や「正しい考え方」をわかりやすく説いている良書なので紹介(おすすめ)したいと思います。


ぶれない人 (幻冬舎新書)

私がこの本を読みながら、著者に賛同し、好印象を抱き、尊敬の念を持ったのは、価値観や思想(考え方)などにおいて、どこか「類似性」を感じ「共感」したこと、そして、本書の全体を通して、一貫して「ぶれない」著者の姿勢・信念・(「正しい考え方」を世に伝えようとする)強い使命感などが伝わったからです。

著者は、決して、お金を稼ぐことを否定しているわけではなく、一貫して(私利私欲を先行させずに)「世のため・人のため」という視点を忘れずに、「利他心」を持って仕事をすることの大切さを説いています

このことは、ビジネスに限らず、教育や勉強や学術研究などにおいても通じる、とても大切な(本質的・根本的な)視点だと考えます。

そして、それが、結果として、(長い目で見て)より大きな利益となって、自分にも返ってくるものだとも思っています。

「論語(道徳・正しい考え方)を追い求め、それを実践した結果、算盤(=経済・お金)はついてきます。

算盤だけを追い求めても、算盤はついてこない。

論語を追い求めて、初めて算盤がついてくる。

この事実を忘れてはいけません。」

(小宮一慶「ぶれない人」より)

本書を読んで、私の中で具体的にイメージすることができた「ぶれない人」と「ぶれる人」の特徴を以下にリストとしてまとめます。

「ぶれない人」の特徴10選

「ぶれない人」の特徴(例)
1、信念を持ち、貫く人
2、高い志や理想を持つ人
3、根がしっかりしている人(「良樹細根、大樹深根」)
4、いざという時に「正しい判断」ができる人
(「正しい価値観や理性」に導かれ「正しい道」を進む人)
5、「世のため・人のために」という視点を忘れない人
(人を育てる人・「利他心」を前提として仕事や勉強をする人)
6、「正しい考え」(正しい価値観)を身につけている人
7、自ら「正しい考え」を得ようと学び続けている人
(優れた書物や立派な師から学ぼうとする人)
8、「欲」と「理性」のバランスを保てる人
(「正しい理性」が働き「欲」に負けない・制御できる人)
9、流されない人
10、「こだわるべきところ」と「こだわる必要のないところ」を明確にしている人
(自分にとって何が正しい・こだわるべきことなのかを見極めることができる人)

「ぶれない人」とは、「正しい考え方や価値観を持っている人」と、ほとんど同義だと、個人的には思っています。

良樹細根、大樹深根

「正しい考え方というのは、

大地にそびえ立つ木にたとえることもできると思います。」

「良樹細根(りょうじゅさいこん)とは、細かく根が張っている木は枝葉もよく茂る木になるという意味で、大樹深根(たいじゅしんこん)とは、根が深くまで張っている木は、その分、大きな木になるという意味です。

人間にたとえてもそうです。

正しい考え方という根をしっかりと張りめぐらせている人は、やがてたくさんの枝葉が茂る良木になると思います。」

(小宮一慶「ぶれない人」より)

どんな人でも、人間である以上、何かしら欲は持っていると思いますが、本書(小宮一慶「ぶれない人」)を読みながら、長い目で見て根本的に大切なのは「利他心」と「ぶれない心根」(しっかりとした自分の軸だと)改めて認識させられました。

「根はたいして張っていないのに、枝葉の方が、一時的に急激に茂るという場合もあります。

いわゆる、運が良くて、あるとき、一気に著名になったり、急にお金が儲かった人というのがこれにあたります。」

(小宮一慶「ぶれない人」より)

人生を長い目で見て、「長く続く確実な成功」とは、上記の引用(良樹細根、大樹深根)にあるような、しっかりと細かく深く張られた良質な根を土台として、枝葉をたくさん茂らせていく「大きな良木」のようなものだと思いました。

多くの人が「欲」を動機に仕事をしています。

「お金持ちになりたい」

「出世したい」

「世間から評価されたい」ー。

欲を持つこと。

それ自体は悪いことではありません。

なぜなら、欲を持つことで、それをエネルギーに変えて頑張ることができるからです。

(中略)

ただし、ここが肝心なところなのですが、お金や地位といった欲をエネルギーに変えてうまくいくのは、ある程度のところまでだと私は思っています。

問題は、”その先”です。

その先は、道は二手に分かれます。

ひとつは、いつまでもお金や地位といった欲が先行する人がたどる道です。

お金を稼ぐことが目的化するため、仕事は稼ぐための手段になってしまいます。

(中略)

中には、私利私欲にどっぷりと溺れて金の亡者と化し、お金を稼ぐことそのものが人生の目的のようになってしまう人もいます

もうひとつは、欲を昇華したした人が辿る道です。

こういう人は、仕事を始めた当初こそは欲が先行していても、「生活に困らないほど食べていけるようになった」「人並み以上の生活ができるようになった」など、ある程度のところに到達して以降は、良い仕事をすることが目的化していきます

仕事を通してお客さまや社会に貢献しようという、言うなれば、”正しい欲”に昇華できるため、ますます質の高い仕事に取り組んでいくことができます。」

(小宮一慶「ぶれない人」より)

5、「得を求める」か「徳を重ねる」か

人が他人について「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」などを判断する5つ目の基準として、「得と徳(どちらに価値を置いているか)」があると考えます。

財前派?里見派?どちらの”生き方”を支持するか?

「白い巨塔」において、一見して、財前は悪役で、里見は英雄のように対照的に描かれています。

でも、以前、「財前と里見、どちらの生き方を支持するか?」というアンケート結果を見たことがありましたが、若干財前の方が多かったのが驚きました。

外科医の財前と内科医の里見、いずれも「一流の名医」であるということを前提として、(技術や能力というよりも)「人間性」や「生き方」に焦点をあてた場合、個人的には、里見のような人格者(実力・人格ともに立派で高潔な人)を尊敬し、心底憧れを抱いていますが、視聴者としては、財前の潔く人間らしい(男らしい)生き方に惹かれる人が多いということも理解できます。

人間性という点でも、実際に、上述したように、財前には憎めないところもあると思います。

財前と里見、それぞれの魅力

財前にあって里見にないもの(個人的にあって欲しいもの)は、人間らしさ(功名心・欲など)
里見にあって財前にないもの(個人的にあって欲しいもの)は、愛情・思いやり・誠実さ・倫理観など。

私的には、この二人を足して二で割れば丁度良いのではないかと思っていますが、彼らは正反対だからこそ、お互いの個性が引き立つのだろう(そのままでいい)とも感じます。

「得」を求める財前と「徳」を重ねる里見

次々と「」(出世・地位・権力・名誉・お金・愛人・名声など)を追い求め、その全てを手にしていく財前。
次々と「」(品格・理性・誠実・正義・勇気・誇り・謙虚・倫理・道徳など)を積み重ねていく里見。

この物語において、二人の人生は、いずれも山あり谷ありだったと思いますが、終盤になると、徐々に明暗が分かれていきます。

財前と里見、どちらの生き方が正解だったのかは、人それぞれの「個人の価値観」によって異なると思いますが、私としては、以下の理由で、里見の生き方を支持したいと思います。

一貫して「正しい価値観」(=「個人の価値観」とも重なる)を持ち、実直に「徳」を積み重ね、医者として人間として、(自らの信念に基づいて)「正しい道」に進んでいったこと、そして、結果として、彼は「長く続く確実な成功」を収めているとも思えるからです。

「因果応報」を信じるか?

「因果応報」(あるいは「自業自得」)

という言葉があるように、(フィクションではありますが)長い目で、財前と里見の人生(末路)を見ていて、結局のところ、人間の人生において、自分がしたことは、良くも悪くもそのまま自分(あるいは自分の家族など)に返ってくるものだと痛感しました。

キリスト教においては、生前に善行や徳を積むと、(肉体は滅びても)来世で報われる(「魂の救済」が行われ天国に行ける)と信じられていますが、その(前世や生前において)自分がした行いや功労などの報いは、来世において返ってくるということもあり得るのかもしれません。

いずれにせよ、遅かれ早かれ、何かしらの形で、必ず自分(や周りの大切な家族)に返ってくると思う(個人的には因果応報を信じている)ので、人は、他人に対して非道なこと(心や名誉を傷つけたり、恨みをかったりするようなこと)をすべきではないと思っています。

6、大物か小物か

人が他人について「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」などを判断する6つ目の基準として、「大物性と小物性」があると考えます。

二種類の「上から目線」

「上から目線な人」が忌諱されたり批判されたりする傾向がありますが、「上から目線」には2種類(大物タイプと小物タイプが)あると思っています。

両者は、同じ「上から目線」でも、全く異なる質を持っているため、相手の受けとめ方や周りの印象なども異なると考えます。

例えば、面識のある人(上司や先輩や先生など)にしても、全く面識のない人(社会的に高い身分や地位に就いている人など)にしても、(年齢や身分などが)自分よりも上の立場にある以上、「上から目線」になることは、仕方のないこと(当然のこと)だと個人的には認識しています。

が、中には、人として尊敬できる人(好きなタイプ)と、尊敬できない人(嫌いなタイプ)がいます。

その人の言動によって、自分自身を鼓舞できる(モチベーションややる気や向上心を刺激され成長できる)人もいれば、なぜか、どこか「小物感」を感じさせたり、相手の人格を疑ったり(軽蔑さえ)してしまうような人もいます。

その違いはどこにあるのか?


「上から目線」の構造<完全版> (日経ビジネス人文庫)

読んでいてとても納得させられたのですが、榎本博明氏の著書『「上から目線」の構造』によると、「上から目線」には2種類のタイプ(「親心的なもの」と「劣等コンプレックス的なもの」)があるとされます。

そのことを踏まえて、個人的には、まず、前提として、以下のような(外的な資質だけではなく内的な資質も踏まえて)2種類の「上から目線」のタイプ(大物タイプか小物タイプか)で、両者は区別されると考えます。

1、大物的な「上から目線」=尊敬される&好かれる

榎本博明氏の著書『「上から目線」の構造』を踏まえて、私の中で具体的にイメージできた、大物的な「上から目線」の人の特徴(あくまでも「一般的な例」)を以下にまとめます。

親心的な「上から目線」(例)
声かけをする
アドバイスをする
ヒントを与える
教える・諭す
認める(肯定する・褒める・尊重する)

「大物タイプ」の特徴(例)

人それぞれのイメージがあると思いますが、個人的には、「白い巨塔」の里見のような人物像を思い浮かべます。

相手のため(相手に対する敬意や愛情がある)
成熟している(柔軟性がある・安定している・知的・一貫性がある・謙虚・感情的にならない)
器が大きい(大人物・多様な価値観を受け入れて尊重する・余裕がある)
自信がある(優れた人格・品格・教養・威厳・経験などがある)
本物のプライド(=誇り・自尊心)が高い
人を育てようとする(教育的愛情がある・研究熱心)
視野が広い(物事の大局を見る・本質を見抜く・学び続ける姿勢・客観的)
中身がある(外面だけではなく内面も磨こうとする・高潔)
自分を持っている(権力や圧力や流行など周りに流されない姿勢・自分の軸がある)
徳を積んでいる

以上のように、(立場や身分が上なため)「上から目線」であっても、不思議と不快ではない、むしろ、心が惹かれたり尊敬できたりするタイプの人たちがいます。

このような特徴を持つ「上から目線な」人は、(個人的に、尊敬している人たちに多いのですが)、一言で言うと、人格者だと思っています。

「大物」か「小物」かを判断する基準も、人それぞれ色々あると思いますが、個人的には、外面(肩書きなど)よりも、内面(人格・人間性・「個人の価値観」≒「正しい価値観」など)を踏まえて判断する場合が多いです。

(勿論、このような「大物」的な資質を持つ人は、外面的にも内面的にも優れた、総じて立派な人が多いと思っていますが)このような人は、周りからの外的な評価などには左右されず、内面から滲み出る自信や品格を感じさせます。

謙虚さや器の大きさもあるので、その「大物感」は(本人が自ら誇示したりしなくても)見ている人にはわかる(見抜かれる・自然と伝わる)ものだと思います。

大物かどうかは、自分で誇示したり、無理やり相手に認めさせようとするものではなく、他者(周り)が判断することだからです。

2、小物的な「上から目線」=軽蔑される&嫌われる

榎本博明氏の著書『「上から目線」の構造』を踏まえて、私の中で具体的にイメージできた、小物的な「上から目線」の人の特徴を以下にまとめます。

あくまでも「一般的な例」であり、特定の誰かを想定するものではありません

劣等コンプレックス的な「上から目線」(例)
偉そう(傲慢・高慢・尊大・横柄)
命令口調・説教口調
威張る(虚勢を張る)
自慢をする(相手にとっては価値を置いていない小さなことでマウントをとる・自分の優位性を自ら誇示する) 
一方的に決めつける(相手の立場や視点に立てない・自分の価値観を他人に押し付ける)
感情的(主観的・攻撃的)
否定的(他人を馬鹿にする・皮肉や嫌味を言う・人の欠点や粗探しをする)

「小物タイプ」の特徴(例)

自分のため(相手に対する敬意や愛情がない・自己中・自己愛が強い)
成熟していない(不安定・脆い・幼稚・感情的)
器が小さい(自分を大きく見せようとする・見栄を張る・異なる価値観を受け入れない・余裕がない)
偽物のプライド(=自惚れ・思い上がり)が高い(有能だと思われたい)
人を蹴落としたり潰そうとする
(攻撃する・貶す・見下す・差別する・上下や勝ち負けにこだわる・マウントをとるなど)
視野が狭い(目先の利益や利点にばかりこだわる・本質を見抜けない・学ぼうとしない・一面的な見方=自分の主観で人に優劣をつけたり価値判断をするなど)
中身がない(外面ばかり固めようとする・中身や内面が伴っていない)
自分がない(権力や圧力などに屈する・他人の評価ばかり気にしている)など

以上は、「白い巨塔」の財前にも見られる要素がいくつかありますが、個人的には、財前を(悪役だとは思ったとしても)「小物」だとは思ったことがありません。

なので、人によっては、(部分的にでも、類似性や共感できる部分がある場合は)「悪役」であっても好意的に捉えられる場合もあるので、結局のところ、尊敬できるかどうか、あるいは、好きか嫌いかなどを判断する基準は、

人による(人それぞれの「個人の価値観」によって変わるものだ)とも思っています。

マズローの欲求の階層説(4つの基本的欲求)

①生理的欲求

②安全の欲求

③愛と所属の欲求(仲間や所属集団を求める)

④承認と自尊の欲求

マズローの階層説は有名で、人は誰でも、「周りから認められたい」と思うもの(承認欲求がある)ものだと思いますが、その欲求が強過ぎたり、「上から目線で」自ら優位性を誇示したり、(相手や周りの人に)無理やり自分を認めさせたりしようとすると、逆効果になる場合があると思っています。

例えば、このようなタイプの「上から目線の」人の大きな特徴として、自分が他者から認められなかったり否定されたりすると、感情(怒り)をあらわにして相手を攻撃したり、自分の優位性を過剰に誇示したり、無理やり相手に自分を認めさせようと暴走することがあります。

でも、そうすればそうするほど、小物感(器の小ささ・狭量さなど)を逆に露呈してしまうように感じます。

他人からの評価ばかりを過剰に気にしたり、他者との比較でしか自分に自信や価値を感じることができなかったり、外面的なもの(肩書きなど)にばかり価値を置いたりする傾向があるので、内面が伴っていない(中身がなく空虚でどこか人間的に軽薄な)印象を持たれることがあるからです。

部下に過剰に「上から」でものを言い、何かにつけて地位関係を意識させようとする上司がいる。

実際には、そのように偉ぶることによって偉く見えることはけっしてない。

むしろ、逆に偉そうに振る舞うことで自信のなさを見抜かれてしまう。

自慢話をしたり、偉そうな態度をとったりする人間は、じつは小人物である。

自信がないから自分を実際以上に大きく見せたいという気持ちが強く、やたらと自慢したり偉そうにしたりする。

このことは誰もが承知している。

ゆえに、自慢したり偉そうに振る舞ったりすれば、自信のない小人物に見られる。

冷静な頭ではそのことは理解できるのに、つい自慢をし、偉そうな態度をとってしまう。

それは、言ってみれば「劣等コンプレックス」の悪あがきだ。

(榎本博明「上から目線の構造」より)

また、このような特徴を持つ「上から目線な」人は、勿論、無自覚な人もいますが、中には、人が不快に思ったりすることを(わざと・故意的に)口にしたりする、

あるいは、自分の言動によって、相手や周りの人がどう思うかなどを想像することができない(他者への敬意・思いやり・配慮などに欠ける言動をする)場合もあるので、多くの人から反感を持たれたり、敵も多くなる傾向があるように思います。

「相手の言葉に過剰に反応する場合は、そこに劣等コンプレックスが絡んでいる。」

「あの人はプライドが高いから、うっかりしたことを言うとひどい目に遭う」のように言われる人たちは、プライドが高いのではなく、崩れそうなプライドを高い位置に支えようと必死になっている。

だから、自分の脆いプライドが脅威に晒されると過剰な反応を示す。

(中略)

「本物のプライドを持っている人、つまり自尊心が高く安定している人は、尊大さの鎧で身を固める必要はない。」

(榎本博明「上から目線の構造」より)

7、「正しい考え方や価値観」を持っているか

人が他人について「尊敬できるかできないか」「好きか嫌いか」などを判断する7つ目の基準として、「正しい考え方や価値観の有無」があると考えます。

正しい考え方や価値観とは

冒頭に書いたように、「価値観は人それぞれ」であり、万人に共通する正解はありませんが、一般的に、多くの人に共通する「正しい価値観」や「正しい考え方」(普遍的な真理)はあると思っています。

そして、(その考え方や価値観が正しいか間違っているかにかかわらず)人は、無意識にも自分の「個人の価値観」に従って、他人を「尊敬できるかどうか」「好きか嫌いか」などを評価したり判断したりする傾向があると考えます。

「個人の価値観」に関しては、普遍性がなく、正解もないので、それ自体を否定したり、(悪いものだ・間違っているなどと)決めつけたり、押し付けたりすべきものではないと思っています。

が、私は、人が人として(道徳的・倫理的に)「正しい方向や道」に進むために、あるいは、正しい方向へと導いてくれる(尊敬できる)人との出会いを持つ上で、以下のような「正しい考え方」や「正しい価値観」を知り、身につけるべく自ら学ぼうとする(意識して自分の中に取り入れる)ことは大切だと思っています。

そのような(正しい考え方や価値観を身につけている)人は、「正しい理性」を持って、「正しい判断や選択」ができる(迷ったりした時に「正しい道」を選ぶことができる)人であり、

また、そうした人には、自然と、同様の「正しい価値観」を持った人たちが集まる(好循環が生まれる)からです。

「正しい価値観」を持つ人の特徴5選

「正しい価値観」を持つ人の特徴(例)
「利他心」を前提として勉強・仕事などに励む人
(「国のため・教育のため・社会のため・人のため・教え子のため・お客さまのため」という視点を忘れない)
目先の利益や損得感情で行動しない人
(私利私欲を先行させない)
「正しい考え」や「正しい価値観」を自ら学んで得ようとする人
(先人・歴史上の偉人や優れた書物、師などから学ぼうとする)
徳を積み重ねる人(善行を重ねる)。
他人に対する敬意を忘れない人

「間違った考え方や価値観」とは

逆もまた然りで、「間違った考え方」や「間違った価値観」を持つ人には、同様に「間違った考え方や価値観」を持つ人たちが集まり、結果として、彼らは間違った方向に進む傾向(悪循環)があると思います。

現在は、ネットを利用して、個人でなんでも(発信したりビジネスをしたり)できる時代になり、便利になると同時に、以下のような、「間違った価値観」を持つ人(私利私欲が剥き出しの人など)が増えたようにも思います。

「間違った価値観」を持つ人の特徴(例)
目的=私欲のためには、どんなに汚い手段でも使おうとする人
(例えば、私利私欲が何よりも先行する、他人を潰す・いじめる・誹謗中傷する・蹴落とす・貶める人など)
自分さえ良ければいいという人・他人に対する敬意がない人
犯罪に手を染める人(詐欺、暴力、侮辱、名誉毀損など)
金の亡者になる人
(例えば、「正しい価値観」を持たずひたすら金儲けに走る人、「過度に」金銭を崇拝し、人を騙してでも稼ごうとする人など)

まとめ

「尊敬できるか&好きか嫌いか」などを分ける7つの基準

1、類似性があるか
2、共感できる面があるか
3、希少性があるか
4、「ぶれる」か「ぶれない」か
5、「得を求める」か「徳を積み重ねる」か
6、大物か小物か
7、「正しい考え方や価値観」を持っているか

(他にもあると思いますが)以上を踏まえて、「尊敬できるかどうか・好きか嫌いか」などを分ける特に大きな基準は、必ずしも相手が「優れているかどうか」「善人か悪人か」などという一般的・普遍的なイメージや視点ではなく、あくまでも(「自分にとって重要かどうか」「自分と似ているところがあるかどうか」「共感できるかどうか」などという)個人的な視点・基準で判断している人が多いのではないかと思っています。

なので、どんなに人格的に立派な人でも、自分と共通点のない人(似ていない・自分と異なる考え方や価値観を持つ人・共感できない人など)に対しては、人は好感を抱きにくいということ。

そして、逆もまた然りで、どんなに非人間的で人格的に欠けた部分のある人でも、自分と共通点のある人(似ている・自分と同じ考え方や価値観を持つ人・共感できる人など)に対しては、好感を持つ人が、少なからずいるということはあると考えます。

自分の「個人の価値観」を知る方法

最後に、「自分を知る」(自分のタイプや「個人の価値観」を知る)方法の一つとして、以下のようなことをリスト化する(書き出す、思い浮かべるなどをする)と、大体、自分が(何に価値を置いているのかが)わかると思います。

「自己」を知る方法
自分の「好きなタイプや尊敬している人」をリスト化する。
→「自分と類似性や共感性などのある」人間的要素や人の名前をリスト化する傾向にある。
自分の「嫌いなタイプや尊敬していない人」をリスト化する。
→「自分と類似性や共感性などのない」人間的要素や人の名前をリスト化する傾向にある。

以上のように、自分がどのような基準に基づいて、他人を判断しているのか(尊敬したり好きになったりしているのか)を知る=自分を知ることができれば、自分にとって良い影響を与える人との良好な人間関係を築く上で(逆に、自分にとって悪影響を与える人との人間関係における対処法を知る上でも)役立つ場合があると思っています。

私自身、この記事を書くことで、改めて、自分について(「個人の価値観」やタイプなど)より深く知ることができたように思います。

「正しい価値観」を持つべき理由

上記の通り、人それぞれが持つ「個人の価値観」には、普遍性がなく正解もないので、(本人にとっては正しい価値観であったとしても)必ずしも、それが、一般的にも「正しい価値観」として認識されるわけではないと思います。

こうした「個人の価値観」(特に「間違った価値観」)は、簡単には変わらないものかもしれませんが、自ら「正しい価値観」を学ぼうとする(優れた本を読んだり、偉人などの言葉に触れるなど、能動的に身につける努力をする)ことで、「個人の価値観」は、徐々により正しい方向に変化していく(より普遍的な「正しい価値観」に近づいていく)ことはあると考えます。

あるいは、「因果応報」として、何らかの形で(悪い形で)自分自身に返ってきた時に、自ら気づくということもあると思います。

いずれにせよ、「正しい価値観」を身につけることは、以下の理由で大切だと思っています。

1、「正しい人間性や人格」が身につくから
2、いざという時に「正しい判断」ができるから
(理性によって、何が善で何が悪なのか、価値観の判断ができるため)
3、「正しい方向(正しい道)」に進むことができるから
4、「正しい価値観」を持つ人たちが集まってくるから
5、徳を積み重ねることができるから
6、因果応報で、自分に(良い形で)返ってくるから

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