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「わがシッドの歌」の面白さーレコンキスタの英雄シッドの魅力

「わがシッドの歌」(”Cantar de mio Cid”)を読み、シドをはじめ物語の登場人物や人間関係、そしてその外部に広がる歴史的背景に興味を持ち、調査していく中で、今まで見えなかったことが色々と浮き上がってきて、様々な新しい発見が出てきた。以下、物語を史実との比較を通して分析し、具体的にいくつか特徴を挙げながら本作品の「面白さ」について述べていくことにする。


Chronicle of the Cid, or Cantar de Mio Cid (Illustrated) (English Edition)

特徴①史実とのギャップ-暗黒面の欠落と美化

まず第一に物語の特徴として興味深いのは、史実を基に書かれているということである。主人公のシド、彼の従臣アルバル・ファニェス、そして国王のアルフォンソなどの登場人物やその人間関係、シドの故郷ビバールや彼の攻略地バレンシアなどの地理名を含め多くの具体的象徴の存在がある。シドがアルフォンソによって追放されたという設定もまた事実であり物語は彼の追放直後から始まり、彼の軌跡を辿るという形で展開されている。さらにこの物語は当時のスペイン事情、つまりレコンキスタ(イベリア半島における支配権の争奪戦)を背景に描いておりストーリーを読み進めていくことによって、シドを中心として(レコンキスタが)どのように行われていったのか、という過程を具体的にイメージして見ることができる。

しかし以上のように、史実に基づいたいくつかの特徴があるが、必ずしも全て事実ではなくそこになんらかの虚構が仕組まれているということが本作品の面白いところでもある。特に、物語と史実との比較においてギャップを感じつつも興味を引かれるのは、国王アルフォンソとシドの間の主従関係のあり方である。史実では、追放を命じたアルフォンソのシドに対する扱いの酷さが指摘されている。追放後も自分にとって都合のいい時にのみシドを許し、必要がなくなれば再び追放するといった具合である。この理由についても、いくつか指摘されている。中でも有力なのが、アルフォンソのシドに対する嫉妬によるものだという指摘である。史実によるとアルフォンソの自尊心の高さは相当なものであったとされている。かつて自分が戦いにおいてシドに負かされたこと、あるいはセビーリャをはじめとするシドの数々の戦いにおける大勝利などを考慮すると、アルフォンソがシドに対して嫉妬していたということにも納得できる。相当シドの存在によってプライドを傷つけられていたのだろう。実際これらが最初の追放につながったとされる。以上のことから、実際のアルフォンソは義理・人情に薄く、シドに対する愛情にも欠けていたように思われる。

一方、シドは、酷い扱いを受けながらも最後までアルフォンソに対する許しを求めたとされるが、心中においては、アルフォンソに対してあまりいい感情をもっていなかったとされる。その背景には、シドが養い親として慕っていた、かつてのカスティーリャ王サンチョの暗殺事件があり、シドはその疑惑をアルフォンソに対して抱いていたという見方があるのだ。後の王がアルフォンソであったことを考慮すると、その可能性はあるだろうし、シドが疑うのも無理はない。つまり、史実におけるシッドとアルフォンソの関係は決してよいものであったとはいえないのである。しかし物語において、このような裏の部分は描かれていない。冒頭で王の怒りを恐れて追放を命じられビバールを出て行こうとするシッドに対して、救いの手を差し伸べたり声をかけるのを憚る人々の様子が書かれている。特にこの直後に九つくらいの少女がシッドに話した言葉が印象深い。彼女の言葉が示しているように、ここでシドを助けることは国王アルフォンソの命令に背くと同時に、自分達の命さえも奪われてしまうことを意味するのである。このような人々の様子から国王アルフォンソの存在や権威が彼らにとってどんなに大きいものであったのか容易に推測できる。

この場面に反映されているように、物語におけるアルフォンソは史実のとおりの権威的で酷薄な国王としての要素も有している。したがって、少なくともここまでは史実と物語のアルフォンソは人格的にはそれほど大きな相違はないという印象をうける。しかし、物語全体の印象としてみた場合、アルフォンソによるシドの扱いや、その主従関係のあり方においては史実の通りではない。物語のアルフォンソは、シドを追放するが、その後のシドの活躍を心から喜び、その栄誉を讃え、追放により離れ離れになっていた妻と娘との再会を、そして、結局はシドのことも赦し、その意思を尊重しつつシッドにとって名誉となるカリオン公子兄弟と娘たちとの結婚を勧め、最後までシドを臣下として信頼する、という人間味のある温かい主君としての一面も描かれているのである。

一方、シドも追放後、一貫して王への忠誠心を持ち続け、主君であるアルフォンソの寵愛を回復すべく勝利を重ね、必ずその戦利品を献上するというひたむきな姿が認められ、アルフォンソからの寵愛を徐々に回復し、さらには娘の結婚に関して父としては渋る気持ちがあるものの、王の厚意に感謝し、大切な娘たちの結婚を王に委託するなど、その意思を最大限に尊重する忠実な臣下として描かれている。つまり、二人はお互いに心から信頼し、お互いの意思を尊重しあう、よい主従関係にあるものとして描かれているのである。このような意味で、二人の関係は物語において美化されているという印象をうける。

さらにもう一つ史実と物語の比較においてギャップを感じるのが、史実にある暗黒面が物語においては比較的描かれていないということである。一般的にレコンキスタは(物語にあるように)キリスト教を正義、イスラム教を悪として捉え、いわばキリスト教に対する「敵」であるイスラム教との勢力争奪戦として見られがちだが、実際にその背景には、支配権をめぐりアルフォンソ達兄弟が争うという、キリスト教同士つまりは「味方」同士の争いも存在するのである。そしてその結果として、既述したサンチョが暗殺され、それに伴いアルフォンソが国王になったのだと考えると、やはりアルフォンソがサンチョ暗殺に何らかの関わりを持っていたのだと思わずにはいられない。

また、スペインにおいて、このような味方同士の争いは内戦時代にも見られる。内戦当時、フランコ率いる反乱軍側に対する共和国側の内部では、戦争優先派と、戦争ではなく社会革命の積み重ねによる社会主義の実現を求める革命優先派との間で対立が生じていたのだ。これには、フランコ側も面白がって見ていたという。

本来は、敵に向かうはずのエネルギーが味方にも向けられ、それどころか敵以上に憎くなるという人間の憎悪感情の恐ろしさ。スペイン内戦時代の反ファシスト側の敗北の根本的な原因が、ここ(共和国陣営内部での戦争優先派と革命優先派の対立)にあり、そしてその後のフランコ独裁による悲惨な日々が始まるのだと考えるならば、以上のような味方同士の争いは、スペインにおける暗黒時代の入り口とも言えるほど恐ろしいことに思える。そして、このことは、レコンキスタの背景として史実に見られるキリスト教同士の争いについても同じことがいえるだろう。

しかし、(文学作品である以上、フィクションだと言ってしまえばそれまでだが)そのような暗い、裏の部分は、物語において描かれていない。それどころか、アルフォンソが国王になる過程さえも描かれてはいないのである。こうした物語における人間関係の美化や、人間の憎悪感情の醜さ、恐ろしさなどといった暗黒面の欠如からは、作者を含めて当時の人々が何を重んじ、何を美しいものとしていたのか、ということを考えさせられる。また、以上のような意味でこの作品は、史実と虚構がうまく融合され、当時の人々の思想がよく反映されているともいえるだろう。

特徴②背景としての現実性

興味深い特徴として二つ目に挙げておきたいのが、この物語は現実的な世界を背景に描いているということである。このような叙事詩によく見られるのが、ファンタジー性のある非現実的な世界を背景に描くということである。例えば、英文学史上最古の叙事詩として知られる「べオウルフ」(英雄べオウルフが隣国を悩ます沼地の怪物グレンデルや、自国を荒らす火を吐く竜を退治し、自らも力尽きて死ぬという武勇伝)や、英文学の最高峰に位置するといわれるJ.ミルトン(1608-1674)の長編叙事詩「失楽園」(かつては神からの寵愛を最も受けていた大天使ルシファーが罪を犯したために神によって追放され、地獄の悪魔サタンとなり反乱する、という神と悪魔の戦いを描く)などのように。しかし、このスペイン最古の英雄叙事詩「エル・シドの歌」には、以上のような非現実的な世界を描く要素は見当たらない。ただ一度だけ、大天使ガブリエルが登場するが、それはシドの夢の中での存在であるに過ぎない。物語における英雄シドが闘う相手は、上述した英雄べオウルフのように、怪物や火を吐く竜などといった非人間的な対象ではなく、(シドたちキリスト教に対する)イスラム教や、(シドたち下級貴族に対する)上級貴族であり、要するに、人間である。ちなみに、シド自身が人間であるということは言うまでもない。さらに言うと、シドを追放したのは、人間(アルフォンソ)であり、上述したサタンのように超自然的な存在(神)によって追放されるわけでもないのだ。

また、戦いの動機も単に名誉を得る、または国王からの寵愛を回復するといった立身出世を目的とするものだけではなく、カリオン公子兄弟によってむごい仕打ちを受けた娘たちのために、父親としては当然ありえるであろう復讐をするため、あるいは、自分や臣下たちの生活のためなどといったものまで幅広いが、基本的には実際に現実の生活においても起こり得る範囲内のものである。さらに、戦いといっても荒々しい戦闘ばかりではなく、裁判によって制裁を与えようとする場面もあり、この手の英雄武勇伝としては比較的リアルで新鮮な印象を受ける。そして、このようなファンタジー性のない、実際の世界に即した場面が多く見られるという点が、馴染みやすく、共感も覚え、私たち読者を魅了する要因の一つであるだろう。

特徴③シドの強さの強調

さらに、物語における三つ目の特徴として、シドの強さが強調されているということが興味深い。物語を一読して気がつくのが、シドをはじめ、彼に従う臣下たちが戦いにおいて負けることはなく、それどころか、戦う前の言葉には、必ず勝つという余裕さえも感じられるということである。このシドの強さも史実に基づくことである。そして、彼らの強さは当時のカスティーリャの強さをそのまま象徴しているとも言えるだろう。実際、当時のアルフォンソ率いるカスティーリャは、強力な軍事力でもってアル・アンダルス諸侯(イベリア半島におけるイスラム教勢力が支配する地域)を圧迫し、ついにはレコンキスタにとって決定的なものとなるトレドを奪い取るという、巨大な強さを持っていたとされる。

史実において興味深いのは、かつてこの強力なカスティーリャの王であり、イベリア半島最強の王とまで言われていたアルフォンソを凌ぐ勢力が存在していたということである。つまり、当時最も勢いが盛んであったとされる北アフリカの大帝国ムラービト朝のユスフであり、彼の強さは群を抜くものであったという。しかし、このユスフも、物語の中ではその強さも、存在さえもそれほど強調されておらず、シッドの敵ではないというくらいにあっさりと蹴散らされてしまうのである。実際に、史実においてこの二人が直接戦った事実はないとされるが、当時のムラービト軍に対抗し、バレンシアを維持できるのは、他でもない、シドだけであったという。つまり、シドはそれほど強いのである。

さらに面白いのは以上のように強くて勇敢なシッドとは対照的に描かれているカリオン公子兄弟の存在である。身分の差を武器に口では大きなことを言うが、いざ戦いの場に出て敵を前にすると怯んでしまう弱さ、ライオンが逃げ出したと聞くや否や血相を変えて隠れてしまう臆病さ、過去に自分が受けた恥辱をいつまでも忘れずに根に持つ執念深さ、そしてそれをシドの娘たちを半殺しにするという不正を働くことによって仕返しをする幼稚さ、自分達がよかれと思ってしたことが全て裏目に出てしまう皮肉さなど一つひとつ挙げれば切りがないが、こうした彼らの弱さや間抜けさ卑怯な態度を多角的に、そしてシドとは全く対照的に描くことによって逆にシドの強さや徳の高さをさらに際立たせる効果をもたらせているというのが面白い。

特徴①主人公シドが最後の決闘で戦わない

最後に興味深い特徴として四つ目に挙げておきたいのが、この作品がシドという英雄の武勇伝であるにも拘わらず、物語のクライマックスを飾る最後の決闘において、主人公シドが直接戦わないということである。ここで、もしシド本人が戦っていたとしても、それはそれで面白いが、英雄の武勇伝としては型にはまった典型的なパターンであるようにも思え(言い切れないが)、個人的に何か物足りなさを感じる。以上の意味では、カリオン公子兄弟たち上級貴族を、シドではなく、その臣下たち下級貴族が打ち負かすという設定は、私たち読者にとって画期的であり、またシドではないという意外さが、この場面を盛り上げている要素の一つでもあり、最後の場面としてふさわしい展開であったように思える。具体的に、シッドではなく臣下たちが戦うことの妥当性を挙げると、第一にシドが戦っていなくても臣下たち一人ひとりがシドに忠誠を誓い、彼の想いも汲んで三人が心を一つにして戦うことで、依然としてシドの存在感は大きいということ。

第二に、臣下たちが勝つことによって、裁判において暴露したことが真実であるということを立証し、カリオン公子兄弟たちに非があるということを認めさせると同時に、彼らよりもシドがどんなに優れているのかを認めさせることができるということ。

第三に、実力があるにも拘わらず下級貴族として不当な扱いを受けてきた、これまでの思いを晴らし、実力でもってその強さを証明する、いわば、下克上の機会となること。

そして第四に、臣下の強さや勝利は、それがそのまま彼らの主君であるシッドの強さや勝利をも意味することになるのだということ、などがあるだろう。こうした意味で、臣下たちは、主君であるシッドの面目を保つ為にも、誰一人として負けられないのであり、また勝つことによって、主君であるシドへの忠誠心がどれほど大きなものであるかを、ここで改めて示すこともできるのである。

一方、シドはシドで、臣下に思いを託し、心から彼らを信頼して戦いを見守っている。もし、心から彼らに信頼を寄せていなければ、大切な娘たちを侮辱されたことに対する復讐を、わざわざ臣下に託すまでもなく、シド自身が戦い、彼自身の手でその復讐を果たすであろう。しかし、シドは戦わない。ここが、シドの臣下に対する信頼の強さを最も反映している場面であるように思われる。つまり、最後の決闘場面において、シドではなく、彼の臣下が戦い、圧勝することは、三人の臣下の勝利にとどまらず、シド個人としての、そして、シドをはじめとする下級貴族全体の、上級貴族に対する完全なる大勝利に繋がると同時に、シドと臣下との間にある強い主従関係のあり方を改めて確認できるという意味で、深い感動をよび、内容がさらに深まり面白さが増すのだと考える。

また、この場面に見られる、下級貴族が上級貴族に打ち勝つという設定からも察せられるように、この物語は、作者を含め当時の人々の階級社会に対する批判が風刺的に描かれている点でも注目に値するだろう。そして、この物語が、一人の作者によって単独で書かれた作品ではなく、吟遊詩人をはじめとする多くの人々によって、長い年月の間に歌い、語り継がれてきたものの集大成であると考えた場合、この作品には当時の人々の計り知れない様々な、強い思いがこめられているのだといえるだろう。

以上、いくつかの特徴と、その興味深い点を述べてきた。史実と物語を比べることは、作者が実際の人物やその背景をどのように捉え、何を伝えようとして作品を書いたのか、ということを考えるよい視点を与えてくれる。実際に、その過程において、様々なことが伝わる。当時の社会状況や、人々の生活に始まり、主人公シドの人間性や生き様、つまり、シドのあらゆる面での強さや、主君への忠誠心のあり方、家族や臣下を信頼し、大切に思う優しさ、歴史上における影響力の大きさなど、要するに、シドという英雄の存在自体であり、そして、その背景に見える作者や当時の人々の思想である。

以上のようにして、当時を知らない私たちが、現代において物語を読み、シドや彼が生きた時代背景を知ると同時に、作者を含め当時の人々が何を考え、何を美しいと思って生きていたのか、ということをもしることができるということが、こうした史実を基にした文学作品の面白さであると考える。そうした意味で、文学作品には必ず、それがもつ意味があり、一つひとつ分析していく中で様々なことを知り、文学を通して、主人公やその背景に生きた人々の思いを、現代に生きる私たちが共有できるということがものすごくすばらしいことに思える。

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