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「ヌマンシアの包囲」考察〜セルバンテスの視点から見るヌマンシア戦争の意味

「ドン・キ・ホーテ」でも有名な、劇作家セルバンテスの「ヌマンシアの包囲」は、紀元前2世紀に、古代イベリア半島の小さな都市ヌマンシア市民が、大国ローマ軍と戦って玉砕した「ヌマンシア戦争」(史実)を基にした戯曲。

本書で登場する小スキピオ(前185年‐前129年)は、ローマ共和政時代の軍人・政治家であり、当時、地中海の覇権をめぐってローマとカルタゴの間で勃発したポエニ戦争(前264‐前146年)においてカルタゴを撃退し、三次にわたる戦いを終結させたことで有名である。また、本書で題材とされているヌマンシア戦争は、紀元前153年(ポエニ戦争中)から前133年(ポエニ戦争終結から13年後)までの20年間もの間、古代イベリア半島の小さな街ヌマンシアの市民(スペイン/ケルティベリア人)が、侵略してきたローマ軍と戦った戦争である。

ケルティベリア人に対するローマの侵略と撃退は、延々と繰り返されていたという。実際に、小スキピオ以前にも、ローマはノビリオルをはじめとする9人もの指揮官の下、ケルティベリア人の抵抗拠点であったヌマンシアを侵略すべくあらゆる攻撃を仕掛けているが、いずれも失敗している。建国から帝国樹立に至る長い歴史の中で、周辺の諸民族を次々と征服し繁栄を築いてきた大国ローマが、度々敗れているくらいだから、ヌマンシア軍の勢力は相当のものだったのだろう。その最初の戦いから20年近く経った、前134年に再度コンスルに選出され、ヌマンシア侵略の任務に就いたのが、本書の中心人物の小スキピオである。

彼は、ポエニ戦争と同様に長期化したヌマンシア戦争においても決定的な役割を果たし、翌年にはヌマンシア市を占領する。そして、この結果としてローマのヌマンシアにおける支配が浸透したのだ。また、彼はこの功によって「マンティヌス」の尊称を得たとされ、ローマ側から見れば、英雄のような存在であるようだ。では、スペイン側から見た場合、この戦争はどんなもので、彼らにとってどのような意味があったのだろうか。本書を通して、セルバンテスの視点から考えてみたい。

大国ローマ軍

スキピオは、ヌマンシアを屈服させるためにどのようなことをしたのか。
① 長期化する戦争によって疲弊した兵士たちの気持ちを一新させ、仲間内の士気を高めることによって、新たな戦略を徹底すべく演説を行う。
② 自らの勇敢な武勇を認めつつも、敵であるスキピオの徳や裁量をも認め、彼に信頼を寄せてやってきたヌマンシア側の和議を、断固として拒否する。数々の勝利を重ねてきたとはいえ、長期化する戦争において、戦場となったヌマンシアの疲弊や損耗がどんなに大きなものであったのかが伺われる。
③ 小さな町ヌマンシアの、少数のスペイン人が、大国ローマの力に屈せず、祖国を護るために勇敢にも立ち向かい勝利を重ねていること対して、武力では屈服させることが困難であると悟り、武力を行使することなく知略だけでもってヌマンシアを抑圧すべく策略を練る。

こうして実行されたのが、深い濠を掘って、ヌマンシア人をそこに取り囲み、兵糧攻めにして、彼らの気力を根絶させることによって、とどめを刺すという前代未聞の策略である。史実において、この策略の結果としてヌマンシアは食糧が尽きて降服し、ヌマンシア人たちは奴隷として売り払われ、ヌマンシアの町はスキピオ率いるローマ軍によって、完全に破壊されたとされる。つまり、ローマ側の勝利だとされているのだ。

少数のスペイン軍(小さな街ヌマンシア)

ローマの策略によって包囲されたヌマンシアはどのような状態であったのか。
(1)敵の攻撃からは護られているものの、捨て身の戦いで復讐することも逃げ出すこともできない、まさに檻の中に閉じ込められた状態で、飢えによる苦しみに苛まれながら、打開策も見出せずに悲嘆に暮れる。
(2)ユピテル神への祈りや生贄、または、星占い師マルキーノによる占いによって、敗者となるのか、あるいは、勝者となるのかという戦争の先行きや、ヌマンシアの未来を占う。
(3)ヌマンシアの幸福のために、残酷なローマ軍との戦いの機会を得るべく、双方から代表を立てての一対一の勝負によって、長年続いてきた戦争に決着をつけようという、公平にして正当な戦いの提案をする。しかし、この提案もスキピオによって却下されてしまう
(4)様々な悪い兆候や天からのお告げによって、ヌマンシアの最期の到来が近いことを悟ったヌマンシアの人達は、最後の手段として、自らが助かることよりも、たとえ死んでしまったとしても、敵である大国ローマ軍が、スペイン軍(ヌマンシア)に対して勝利と栄光を収めることのない二つの策を講ずる。
一つは、ヌマンシアの地において、ローマ軍が戦利品としうる高価なもの、例えば、財産や宝石などを全て燃やしてしまうこと。もう一つは、ローマ人に勝利と栄誉を与えまいとして、自らの手によって互いに殺し合うという、彼らにとっては誇り高き死に方を選ぶということ。

誇り高き「名誉の死」とは

では、誇り高き死とはどんな「死」なのか、彼らにとって「死」とはどんなものなのか。本書における、ヌマンシアの人たちの「死」には、様々な形の「死に方」があり、それぞれに意味があることがわかる。今にも飢え死にしそうな、愛する妻リラの為に、命を懸けて敵陣に攻め入りパンを奪い、生きて帰ってくることで妻への「愛」を示したマランドロの「死」、親友であるマランドロへの「愛」を示したレオニシオの「死」、そして、祖国の為に亡くなったヌマンシアの人々の怒りや苦しみなどのあらゆる思いを背負い、ヌマンシアの勝利と名誉の為に、祖国への純粋な「愛」を示した最後のヌマンシア人バリアートの「死」など、彼ら一人一人の「死」には様々な形や意味があるが、共通して言えることは、そうした彼ら全ての「死」が、結果として、祖国ヌマンシアの「勝利」を意味しているということである。

本書を通してヌマンシア人の生き様を見て、人間にとって根本的な「生」と「死」について考えさせられた。改めて痛感したのは、人間は誰もが大切な何か(誰か)の為に「生きている(生かされている)」のであり、その大切なもの(人)の為に「死ぬ」ことは、ある意味苦痛ではなく、また場合によっては、その「死」が、(少なくとも本人にとって)「名誉」や「誇り」ともなりえるものなのだということである。つまり、「死に方」次第で「名誉(勝利)」にも「不名誉(敗北)」にもなるのである。

敵であるローマ軍の手ではなく、自らの手による「死」を選んだヌマンシア人たちは、結果として、皆死んでしまうのだが、本書を通してはっきりとわかることは、彼らの「死に方」に象徴されているように、スペインにとって、この戦争におけるヌマンシア人の「死」は、決して(史実にあるような)ローマに対する「敗北」を意味するものではないのだということである。それどころかむしろ、”卑怯”で、”不実”で、”臆病”で”残酷”な、大国ローマ軍に対比して、常に”勇敢”に、”正々堂々”と戦い続けてきた、小規模なヌマンシア軍の「勝利」を意味する戦争であったのだとさえ言えるだろう。

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